ビザンティン美術(5)

21. メトロポリタン博物館、ニューヨーク (A World of ‘Phantasma、14世紀後半)

                                                                 画像:A World of ‘Phantasma’「知覚のなかにしか

                                                                 存在しないもの(Phantasma)」の世界


 Pafsolype聖処女、饗宴の場面、磔刑ならびに預言者達を描いた二枚のイコン。ビザンティン(コンスタンティノープル?)、14世紀後半、全地総主教庁(Ecumenical Patriarchate)のコレクション、イスタンブール、厚意:メトロポリタン博物館

22. カーリエ博物館Chora Church)、14世紀

 

 

 

 

画像:

 

 


引用
正教会の教会堂としては、同じイスタンブルにあるアヤソフィアなどと比べると、小規模で雑な印象の建築であるが、14世紀に作成され、しばしばビザンティン美術の最高傑作と評価されるモザイクとフレスコ画が残されており、イスタンブルでも有名な観光スポットである。イスタンブルの歴史地区として世界遺産にも登録されている。

画像:Google Map, 2016                                                    画像:『初期キリスト教美術』John Lowden 益田朋幸訳、

                                                                                     岩波書店 2000, P410

                                画像:『初期キリスト教美術』John Lowden 益田朋幸訳、岩波書店 2000, P413
                                260
                                キリストとテオドロス・メトキティス
                                内ナルテクスのモザイク
                                1320年頃
                                カリエ・ジャミィ、イスタンブール

引用:『初期キリスト教美術』John Lowden 益田朋幸訳、岩波書店 2000, P412

 

 聖堂に西から入る際には、まずナオスに入る前に、内ナルテクスにいたる扉口上にある大きな〈キリスト・パントクラトール〉に対面することになる。ここにも「命あるもののコーラ」との銘がある。この扉口をくぐって進めばナオスにいたる扉口上にも〈キリスト〉坐像があって、やはり「命あるもののコーラ」との銘が付されている(図 260)。しかし見る者の注意は、左にひざまずいて、聖堂の雛型を捧げる人物に向けられるだろう。彼の大仰な金と白の帽子というかターバンは、全体に暗い調子で扇形を繰り返した金地背景のなかにあって、見る者の眼を惹く。彼こそが「創建者にして、宝物庫口ゴテティス(管理官)、テオドロス・メトキティス」である。

               画像:『初期キリスト教美術』John Lowden 益田朋幸訳、岩波書店 2000, P417
               264
               アナスタシス
               葬礼用礼拝堂の壁画
               1320年頃
               イスタンブール
               カリエ・ジャミィ

引用:『初期キリスト教美術』John Lowden 益田朋幸訳、岩波書店 2000, P417

 

 コーラ修道院の聖堂本体とナルテクスはモザイクで装飾されているが、パレクリシオンはフレスコで飾られた。この技法の使い分けについてはさまざまな説明が可能であるが、確実なことは、葬礼用礼拝堂にふさわしい装飾内容が隅々まで熟考され、それがメトキティス本人に由来するということである。パレクリシオンのアプシスには巨大な〈アナスタシス〉が君臨する(図264)。1950年代に行われた洗浄・保存作業以来、この場面がビザンティン美術を代表する名作とされてきたのもゆえなしとはしない。黄金なす星をちりばめた白と青のマンドルラを背に、白い衣装をまとった復活のキリストは、墓からアダムとエヴアの両人をひき揚げる。構図は入念に工夫され、力と動きの効果を捉えることに成功している。たとえばクルビノヴォ(図218)のひき伸ばされ、哀感に満ちた人物像が見る者に訴えかけるような意味では、コーラの画家の様式は情感を強調していない。にもかかわらず、その効果は絶大である。絵は自ら見られることを求めている。礼拝堂の残る部分は、〈最後の審判〉の諸場面や、受肉を予型するとされた旧約聖書の図像、諸聖人を描く。

 

注1:メトキティス
パレオロゴス朝におけるコーラ修道院の復興は、皇帝アンドロニコス2世の宰相テオドロス・メトキティスの手になるものであった。(P410)
注:Iconography 37. Anastasisを併せ参照乞う。

23. ウビシ修道院、グルジア、14世紀の壁画

               画像

                       画像:Google Map, 2016

          画像:フレスコ画(内部)。ウビシ修道院、ジョージア(グルジア)

               画像:ウビシ修道院

     画像:最後の晩餐。ウビシ修道院のフレスコ画の一枚。

     画像:神("The Ancient of Days")。14世紀のフレスコ画(ジョージアのウビシの僧院)

24. ウスペンスキー大聖堂・モスクワ、15世紀

                        画像:ウスペンスキー大聖堂の内部


 モスクワのクレムリンの中にある生神女就寝大聖堂は、かつてのモスクワ大公国の母教会であり、ロシア正教会の著名な大聖堂である。大聖堂はクレムリンの大聖堂広場に接しており、1475年から1479年にかけて、イタリア人建築家アリストーテリ・フィオラヴァンティによって建設された。

     画像:2005/06/26撮影。壁面に描かれているのは「最後の審判」。

25. メテオラ、15-16世紀

               画像:大メテオロン修道院の内部
               メテオラの大メテオロン修道院は撮影が禁止されているはずなのだが。

注:

                          画像:The interior of a Meteora monastery - Photo: momentary

       画像: メテオラの大メテオロン修道院のフレスコ画は制作が1497-98年であるが、保存状態は良好である。

       これらはマケドニア様式で描かれている。

注:聖ヴァルラアム修道院

                画像:聖ヴァルラアム修道院はメテオラ地域で二番目に大きい修道院である。

                1541年に建てられ、1548年に装飾された。ここのフレスコ画は後期ビザンチン図像学者

                フランゴス・カテラノスによって描かれた。

26.生神女就寝大聖堂、エルムポリス、シロス島、ギリシャ、エル・グレコの作品16世紀

                画像:El Greco
                生神女就寝祭(しょうしんじょしゅうしんさい)のイコン
                1565–1566(エル・グレコ21-22歳のときの作品)
                テンペラと金、パネル
                61.4cm ×45cm (24.2in ×18in)
                Holy Cathedral of the Dormition of the Virgin, Hermoupolis

引用

  グレコは、1541年に当時ヴェネツィア共和国の支配下にあったクレタ島の首都であり港市であるカンディア(現イラクリオン)で生まれた。 ビザンティン帝国は1453年、オスマン・トルコによって国としての歴史に幕を下ろした。しかし旧支配地域ではビザンティン美術の伝統であるポスト・ビザンティンが残っていた。それはカンディアでも変わりなく、宗教祭事及び図像学的にカトリックとは異なった世界が形成されていた。グレコはその影響を受けて育った面もある。当時のグレコの作風にはポスト・ビザンティン美術の影響が見られる[5]。カンディアではこのように後期ビザンティン美術の伝統を継ぐ画家となり、同時に独学で部分的にイタリアルネサンス美術の手法を取り入れたと考えられている。1563年にはイコン画家として独立していた。