長  浜 

2015/11/15

 

 湖東三山巡りを紅葉の時期に楽しみたい、と思っていたら、幸いに○○先生との話が纏り、彦根で合流することにしたのですが、○○先生はひとつ条件をつけてくださった。

 金沢から車での日帰りは(年取った私には)危険なので、彦根で一泊せよ。そして翌朝早く彦根駅で待ち合わせよう、というものだった。私は自分でも「歳をとって疲れやすい」体質に気づいていたので、勿論合意し、彦根でビジネスホテルに泊ることにしたのですが、そうすると前日が明いてしまう。

 そこで予てから狙っていた長浜見物をすることにした。

 

 

 

 

 

 

  なんといっても長浜の狙い所は長浜駅・旧駅舎なのです。この駅舎は明治13年に着工され、同15年に完成した長浜駅で、日本に現存する最古の駅舎なのです。明治15年に完成したときは、大津までの連絡船乗換駅でした。

 

 

長浜停車場構内図(館内掲示板)

 上の構内図の左方を拡大すると、

中央の縦型建物が長浜停車場で、琵琶湖と接していることがわかる。

その斜め上に太湖汽船会社の建物並びに船客昇降場が見える。

長浜停車場の右側の大きな建物は貨物庫である。










大津-長浜間を航行した湖水丸。

 

 

 

 

 東海道線が明治22年全通すると、この連絡船はなくなります。この航路が七年間存在したお蔭で繁盛していた長浜と大津の旅籠は、その存在価値がなくなりました。旅行客はこの二つの街を素通りするようになったからです。

 

 

 

 

 

 

 

当時の連絡船時刻表










フランス人ジョルジュ・ビゴーによるデッサン。当時の鉄道駅風景。

 

 

 私の先祖(父方の祖父、作次郎)は大津で旅籠を経営していたのですが、鉄道連絡船の廃止で旅籠は潰れ、京都の祇園町北側323番地に引っ越ししたようです。私の父はその引っ越しから数えて5年目に今の丸山公園のなかの茶屋街(いまでも茶屋が並んでいます)で生まれた、と推定されます。つまり私の父はかなりひどい貧窮の中に育った、と考えられます。まあ、その当時は誰もが似たような境遇だったはずですが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

明治22年頃の鉄道地図。館内説明図から。

 

祇園町北側323番地の所番地は今でも変わっておらず、現在は鳥久という料理屋がある。

 

 

 

 そういう曰く因縁があるので、かねてから一度長浜駅・旧駅舎(鉄道遺産)を訪ねたいと思っていました。

 それで印象はどうだった?

 

 

Google Map, 2015

 

 

 

 いや実に楽しいですね。明治時代中頃の風俗がいきいきと再現されていて、まるで110年前に甦ったような雰囲気を味わうことができます。日本で最初の鉄道駅である新橋駅(明治5年、1872年)は今はもう取り壊されていますから、その当時の雰囲気を味わうには、この長浜駅しか残されていないのです。

 

 

大八車。出札所。旅人の出で立ちと柳行李

 

 となりに長浜の豪商浅見又蔵が築造した豪華な邸宅と庭園「慶雲館」があります。素晴らしい庭園で、見物して腰をぬかしました。二代目又蔵は羽二重の取引で巨万の富を築いたというのです。

 

 

 

「慶雲館」。琵琶湖の湖水を利用して持ち込んだと思われる巨石がずらりと並んでいる。

  

 夕食は敦賀で買った鯖寿司を食べました。ビジネスホテルでお茶と一緒にいただきました。最近ダイエットをしているのでこれでも食べ過ぎなのです。泊まったホテルはAPA Hotel。

 駅から離れているのですが、車ですし、外に出る必要もなかったので、これで充分です。

 小浜・若廣の鯖寿司。とても美味しい。

 

 

そういう次第で、私の父は、

 

祇園町北側323で育ち、小さいころから丁稚として働き、

一応当時設定された4年制尋常小学校に通った、

とはいうものの学校には卒業記録は残っておらず、

ほどなくして、ご縁があって、当時日本一だった児玉金箔店で修業した結果、

金箔製造の腕っこきとなった。

その当時、明治2年まで存在していた金座」(京都市両替町御池上ルにあっ     た)の影響が残り、金箔の製造はまだ京都が主体だったのです。

             ところが大正4年に三浦彦太郎が金沢市でドイツ技術による打箔機を開発した

                          こともあって、

大正6年(1917)、23歳で金沢へ転出して独立し、金箔商を開業し成功した。

 

 これが長浜と私との間の遠い因縁なのです。前にカイゼルシステムで記述した児玉信次郎先生は、私の父が金箔製造を修業した児玉金箔店の御曹司だった方です。

 

 

 

 

 

 では皆様ご機嫌よう。

 

   の旅行記目次に帰る。