娘家族とともに広島・松山旅行(2)

 2020/03/20-22

 

 

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 翌日広島のリーガロイヤルホテル28階からの眺めです。右下に広島平和記念資料館が見えます。爆心地をうねるように流れている川は元安川です。遠方はるかにみえているのは瀬戸内海で、右方に昨日訪れた宮島がみえます。こうやって高みから見下ろすと、広島は夢のような美しさです。

 

 昨日は廿日市の御料理山茶花の料理があまりに美味しかったので食べすぎてしまい、ロイヤルホテルの夕食のステーキが沢山食べられなくて残念でした。

 

 で、コロナ・ウイルスの影響で食事する人も少ないだろうと高を括っていましたら、外来のお客が沢山来ていて、テーブルはほぼ埋まっているという大盛況で、びっくりしました。リーガロイヤルホテルは地の利が良くてお客が多いのですね。

 

 このホテルを選んだ理由は、爆心地に極めて近いこともさることながら、玄関のすぐ前に有名なひろしま美術館があることなのですが、残念、コロナ・ウイルス対策で閉館しており、入場はできませんでした。ただし、小さい子供を持つ両親にとっては、美術は子供の目に入らぬという理由で、美術館閉館などどうでもよい些事のように見えました。

 

 

 

 簡単に爆心地と記念物を見て歩いてから、広島を出発し、尾道に向かいます。

 

 尾道では昼食を摂る以外なにもせず、直ちに新尾道大橋を起点とする「しまなみ海道」に入ります。明石海峡大橋のような巨大な鉄橋を想像していたのですが、多くの島を渡る関係で、巨大な橋はほとんど見当たりませんでした。

 

 途中の大三島で、しまなみ海道を降りて、瀬戸田の島を耕三寺までドライブします。

 

 

 立派なお寺なのだが、戦後に観光用に建てられたお寺で有難みがあまりない。そこで一同入場は遠慮しました。

 

 

画像:GoogleMap, 2020

 

 

 耕三寺のすぐ近くに平山郁夫美術館があったので、行ってみました。ここは観光客も少なく、手入れのよく行き届いた美術館で感心しました。

 

 驚いたことに、敦煌石窟の模型まで作ってあるではありませんか。

 

東京藝術大学により再現された敦煌莫高窟第57

 

中央が 仏像及び阿難と迦葉像

 

左手が 有名な仏説法図 「西方三聖」

 

右手は 名称不詳

 

 

説明

 

【第57窟】方形窟。とても小さな窟ですが、莫高窟で一番美しい菩薩像の壁画で

有名です。菩薩画の美人窟です。他の仏たちがみな変色してしまっている中、

左の壁に描かれたこの菩薩の周囲だけが奇跡的に変色していません。菩薩は

化粧を施した美しい貴婦人の姿で描かれており、装飾品の金色も素晴らしく繊

細です。

 

 

 ちょっと次の説明を見てください。

 

 

画像:平山郁夫美術館案内書より

 

 

 なんと平山郁夫さんは瀬戸田のご出身で、この美術館の前の小学校に通っておられたのですね。これも吃驚しました。広島で原爆に遭われたのはそのあとなのですね。

 

 

 平山郁夫美術館のあとまた車に乗り、今治市まで行って、今治の有名なタオル産業に敬意を払い、今治タオル館を訪ねました。

 

 

 もちろん買いましたよ。日本で手に入る最高級のタオル。自分用ではなくて、息子と妻用のタオルです。娘に手荷物として持ち帰ってもらいました。

 

 今治から松山までは山の中を通るほぼ一直線の道があるのです。国道317号線です。迷うことのない一本道で、しかも、松山では道後温泉に直接乗り入れることができます。四国霊場第51番札所石手寺(いしてじ)の前を通るのです。

 

              石手寺の名前の由来 

 

画像:GoogleMap, 2020 国道から見た石手寺

 

 

画像:https://ja.wikipedia.org/wiki/石手寺

 

創建年 (伝)天平元年(729年)

 

開基  (伝)行基、聖武天皇(勅願)

 

ですから信じられないほど古いお寺ですねえ。

 

 

画像: 石手寺仁王門(山門) 国宝 鎌倉時代

 

 

画像:GoogleMap, 2020 四国霊場第51番札所石手寺。巡礼者たちはこちらのほうでお札を頂くようですね。

 

 

 車窓からちらりと一瞥しただけの参拝でしたが、これで石手寺は見たことにして、私たちは今夜の宿「別邸朧月夜」へと急ぎます。

 

 

 

注:

 

昔の写真を調べていたら、2006/06/17に敦煌を訪れていたことがわかりました。

 

 

57窟というのはこのような刑務所の一室みたいなところなのです。

 

案内人に金を渡し、鍵を開けて覗き込むのです。興醒めですね。

 

写真を撮ることは勿論禁止でした。