東京から羽黒山2

2022/09/25

 昔を思い出しての話なのだが、私はいまからざっと60年も前に(学生の頃)、この山地を今回のルートとは逆に、西から東へと、旅行したことがあった。その頃私は学生だったから、日本国有鉄道で鉄道旅をしたのである。北陸本線と信越本線、羽越本線を乗り継いで、鶴岡まできて、そこから国鉄バスを乗り継いで山越えをした。国鉄時刻表とその当時唯一の旅行雑誌であった『旅』(日本交通公社発行)が旅行の手がかりであった。私は雑誌『旅』をむさぼるように読んで旅行計画を立てた。当時、戸塚綾子という人の旅行記が名筆だと評判だった。

 

 

 鶴岡から山形までバスで山越えをしたのだけれど、月山、湯殿山におまいりするほどの時間の余裕がなかったので、国鉄バスで湯殿山大日坊で途中下車をして、帷子を着たミイラの即身仏真如海上人を見物して写真を撮った。「死」の世界を実見できる場所だった。当時の東北地方はこのように、まるで人生の秘密洞窟を探検するような妖しい魔力があった。

 

 

 湯殿山 大日坊だが、今では観光バスも停まらない。生死の境界をまたぐような見物は現在の観光客には不向きなのだろう。

 

 湯殿山 大日坊のあとで訪問したのは、定義温泉 - Wikipediaだった。奥羽山脈を越えて、仙台に近づいた山中にある。仙山線の陸前白沢駅で途中下車し、「定義」行のバスに乗ったのだ。定義から温泉までさらに15分ほどテクテク歩いた。

 

 

その当時の私は、ほぼ一年間「死」の世界を放浪したあとで、「死」と「気違い」の世界から足を洗いつつある時期だった。私が死の世界から辛うじて脱出したのは1960年、私が20歳のときのことだから、私が定義温泉を訪問したのは、昭和35年の秋で、10月だったと断定できる。

 

 

 定義温泉は神秘にみちた世界で、日本で唯一の秘所。気違いを養生させるための類稀な温泉である。私は紹介状も持たず予約も取らずにリュックを担いだ姿で出かけ、不思議なことにこの温泉は私をすんなり受け入れてくれた。私の風貌が鬼気迫っていた所為かもしれません。

 

 暗い雰囲気の温泉旅館で、物音がまったくしない温泉旅館だった。湯舟はひとつしかなく、夜、私はぬるい温泉に浸かった。混浴で、先客は気違いとおぼしき若い娘さんとそのお母さんだった。誰もひとこともしゃべらずに、ぬるい温泉に長時間浸かったのである。浴室は暗くしてあり、人の姿も定かではなかった。

 

 

 2008年11月21日の記事 | 近代日本精神医療史研究会 (jugem.jp)という記事が昔の雰囲気を写している。定義温泉 も参考になる。

 

 

 私はこの後一人で、仙台、釜石、宮古、盛岡と回った。盛岡では上盛岡で汽車を降り、近くの報恩寺 (盛岡市) - Wikipediaという曹洞宗の禅寺の庫裏で一晩泊めてもらった。もちろん払暁の掃除から参禅まですべてをこなした。この寺のお坊さんは厳しいが優しい人だった。私の申し入れを聞くや、すぐさま私を寺に受け入れてくれた。暖かくて有難いお恵みだった。

 

 私はこのようにして、人の情けにすがり、昭和35年秋、東北地方を「死、気違い、正覚」を点描するとても難しいテーマで旅行をした。その当時の東北地方は神秘的で、包容力のある地域であり、私の心はこの寛容たる雰囲気でとてもとても癒された。

 

 こういう青春時代の苦しい時期を乗り越えて、今の私がある。これらすべてを残らず包摂する哲学は79歳になって、『正覚とき 』という本になって結実した。