東京から羽黒山3

2022/09/25

 さて、私たちのバスは羽黒山に到着した。

 

 

 クラブツーリヅムが私たちに手渡したくれた地図が下である。

 

 

 私たちのバスは庄内交通羽黒センターという駐車場に到着し、そこから随神門まで歩いた。

 

画像:随神門。この門は初め仁王門として元禄年間秋田矢島藩主より寄進されたが、明治の神仏分離の折り、随身像を祀り随神門と名付けた。(引用:羽黒山|出羽三山神社 公式ホームページ (dewasanzan.jp)

 

 

 随神門の前に由緒の説明板がある。

 

 

 月山神社、出羽神社、湯殿山神社を合わせて出羽三山というのだから、これらをすべて回らなければならないのだが、この羽黒山には三神合祭殿というのがあり、ここで礼拝すれば三山すべてを参拝したことになる、という。この随神門を通ると、まず羽黒山五重塔があり、そこを過ぎて杉並木のなかの石段を60分も登れば、合祭殿に到着するのだが、私たちは国宝五重塔を見物したあと、一旦バスに戻り、バスで羽黒山頂上の合祭殿に向かう。苦しい山登りを省略するのだ。便利になったけれども奥床しくないようにも思える。

 

画像:案内板の下部。随神門と羽黒山五重塔をまず見物して、一旦バス駐車場にもどり、バスで羽黒山を登山する。五重塔横の石段を登ってもよいのだが、時間がかかりすぎる。

 

 

 随神門から石段を下りる。

 

 

 継子坂を下り切って右に曲がる。

 

 

 さらに下り、祓川(はらいがわ)神橋に至る。朱色が美しい。

 

 

 祓川越しに須賀の滝が見える。昔三山詣での人々は必ず祓川の清き流れに身を沈め、水垢離をとり三山への登拝の途についた、という。

 

 

 そしてすぐ左に五重塔が現れる。

 

 

古くは瀧水寺の五重塔と言われ、附近には多くの寺院があったが、今はなく五重塔だけが一の坂の登り口左手に素木造り、柿葺、三間五層の優美な姿で聳り立つ杉小立の間に建っている。現在の塔は長慶天皇の文中年間(約600年前)庄内の領主で、羽黒山の別当であった武藤政氏の再建と伝えられている。(引用:羽黒山|出羽三山神社 公式ホームページ (dewasanzan.jp)

 

 

 この五重塔は南側からの景観のほうが美しい。

 

 

 もう一度随神門にもどり、バスに乗って羽黒山頂上に向かう。

 

 もともとこの山は黒山と通称されていたが、出羽の国の通称である羽州(うしゅう)の名前をとって、羽黒山と名付けられた由。