役行者と西行

2022/04/24

 今回はクラブツーリズムの企画に乗って、瀬戸内海を通るフェリーに乗って、やってきました。

 

 

 実は200644日、16年前に、自分の車でやってきたことがあるのですが、その時は事前に調査もせずに、やってきて、その所為か桜には早すぎて、桜見物も中途半端だったし、金峯山寺でも御本尊の蔵王権現も拝観することはできませんでした。

 

画像:200644日の蔵王堂。桜は咲いておらず、まったく惨めな光景でした。

 

 でも今回は違います。企画はクラブツーリズムがきっちり立ててくださっているので、手ぶらで来て、じっくりと歩き回ることができて、私はまことにラッキーだ、と感じました。

 

 下千本駐車場からブラブラと商店街を歩いて蔵王堂まで来たのですが、今回はたまたま蔵王堂横の仁王門が改修中ということで、改修費を稼ぐための蔵王権現特別開帳の期間にあたり、私は幸運にも蔵王権現を直に拝観することができました。

 

 衝撃的でしたねえ。

 

 

 まさかこんなに衝撃的なご本尊と対面することができるとは夢にも思いませんでした。日本ではもちろん唯一、世界でも例をみない圧倒的で威圧感のある彫像で、これこそ世界文化遺産に指定されるべきだ、と思いました。

 

 

 蔵王権現は三体ならんでいますが、三体共に蔵王権現ですので、真ん中の本尊を取り出して細部を観察させて頂くことにします。

 

 

 この像は詳しく観察するまでもなく、異様です。彼は地獄の業火のなかに立っている。地獄の業火のなかに立っているから頭髪が風になぶられ、上方に逆靡いている。顔色が紺青であることも不気味だ。この怪物が牙を剥き、目を嗔らし、右足をたかく上げて今にも踏み下ろしそうなのも恐ろしい。

 

 これが三体も続いているのだから、凄まじい怖さだね。圧倒的な恐怖感というか。

 

 どうみたってこれは仏像ではありませんね。これは仏像ではなくて、地獄の鬼です。

 

 役行者(えんのぎょうじゃ)は青年の頃、二十歳前後の時に、「熊野大峰(大峯)の山々で修行を重ね、吉野金峯山金剛蔵王大権現を感得し」たその蔵王大権現のお姿がこれだというのですから驚きです。(役小角 - Wikipediaを参照せよ)

 

 たかが20歳の青二才のときに、役行者はこの青鬼たる蔵王権現を心の中の鏡で感じ取ったのです。

 

 日本にもいろいろお寺があるけれども、こんな青鬼が御本尊になっているお寺は、私はいままで一回も見たことはありません。

 

 繰り返しますが、頭を取り巻く赤い炎は地獄の業火としか見えません。地獄の罪人を焼く猛火です。ここは地獄なのです。

 

 

 

 地獄といえば東京国立博物館所蔵の地獄草紙

画像:東京国立博物館

国宝 地獄草紙 1巻 紙本着色 縦26.9 全長249.3 平安時代 12世紀 国宝 A10942

 

 

 

 あるいは聖衆来迎寺蔵「国宝・六道絵」

画像:聖衆来迎寺蔵「国宝・六道絵」

 

国宝 鎌倉時代 13世紀 滋賀・聖衆来迎寺蔵

 

等を思い浮かばれるでしょうが、これら地獄絵の原点が平安時代の末法思想に基づくものとすると、それよりも古い役行者(7世紀中頃)の時代にこの青鬼の原型が作られたのであれば、地獄の鬼としては日本最古ということになりますね。聖徳太子の時代に非常に近い時代です。

 

 

 

金峯山寺蔵王権現

画像:金峯山寺蔵王堂パンフレットより

 

 役行者が修行の結果、釈迦如来や千手観音菩薩、弥勒菩薩を差し置いて、最終的に出現したのが蔵王権現なのですから、権威の象徴は上の写真に見られる「怒れる青鬼」で、この「怒れる青鬼」こそ、釈迦や千手観音、弥勒菩薩を凌駕する最高権威ということなのでしょう。

 

 こんな恐ろしい怪物が日本の寺に西暦650年以来居座っていて、しかも信仰され続けているというのですから、驚きです。

 

 

 

 調べましたら、蔵王権現拝観の際、私のカメラに蔵王権現の一部が写っておりました。拡大して表示すると次の通りです。

 

 

 三体ある蔵王権現の右側の一体です。この蔵王権現の左手の印相が看て取れます。こんな印相を私はいままで拝観したことは一度もありません。刀相というのらしいですが、人差し指と中指の二本をおったてています。これが空中に浮いているのですが、巨大で、凄まじい迫力があります。印相ではなくて狂相です。胸飾りから垂れる金の鈴、両腕の付け根に嵌まる金色のブレスレット、衣服の端っこがすべて波打っています。とても正気の者が彫り上げた彫像とは思えません。

 

 この彫刻士たちは、実際に地獄へ行って、帰って来たばかりなのでしょう。この世の者が造った造形とはとても思われません。

 

 

 

 

 だが、この吉野には同じ内観を持った者がもう一人います。西行です。

  

 

西行法師とは平安期から鎌倉時代初期にかけて活躍した歌人・僧侶(1118、没1190)。俗名は佐藤義清。

 

武家の生まれであり北面の武士として朝廷の警備を担当。23歳の時に出家し各地をまわる。

 

出家の理由については、親友の死や失恋など諸説あり。

 

出家後は吉野山にも頻繁に訪れ、山奥で可憐に咲く吉野桜をこよなく愛した。

 

西行は、桜の儚さと人間の死生観を重ね合わせた秀歌を数多く残し、日本人の美意識や人生観に大きな影響を与えたと言われる。

 

■願わくば  花の下にて春死なん  その如月の望月の頃

(願いが叶うならば、春の桜の下で死んでみたい。如月の満月の頃に。)

引用:吉野山・花山山本 (sakura.ne.jp) 

 

 

 

 井上靖という作家は、「どうも合点がいかぬ」と随筆『西行』のなかで述べる。

 

画像:井上靖『西行』学習研究社 1982 

 

 要するに、井上靖は西行が23歳で出家した理由が分からぬ、とこぼしているのである。23歳という若さで厭世観や無常観を持つに至ることは常識では考えられない。失恋による烈しい痛苦なら歌に詠むはずであるが、それが見当たらない。さあ、なぜ彼が出家したのか分からないとこぼしている。

 

 

 読者にはもうお分かりでしょう。次の二つのケースを比較検討していただきたい。

 

A.    役行者                        二十歳前後の時に                 金剛蔵王大権現を感得した

B.    西行                            23歳の時に出家                    吉野の金剛蔵王大権現に帰依する

 

そしてこの二人が信じるのは、目を嗔らせ、牙を剥きだし、髪の毛を逆立てて、向かう相手を踏みつぶさんと右足を振り上げる「青鬼」なのです。

 

 ここにしっかりとした共通点があります。彼らは20歳から23歳の青年です。そして彼らは共通して釈迦を拒否しているのです。私が愛するのは釈迦ではなくて、暗黒世界だと、言っているのです。暗黒世界で火炎に焼かれ続けることだ、と二人は強調しているのです。

 

 

 

 現世に例えればこの様子だ、と二人はいうかもしれない。

 

 

 もう一つ例を挙げましょうか。

 

 ドイツのマルティン・ルターも21歳のとき、暗黒世界(B)に落ち込んだ。彼が見たものは「怖るべき秘密」としての神であった。

 

 この苦しみを自分はいくたびも耐えしのんだ。もちろん、いつもほんの短いあいだだけれども、あまりに大きい、地獄のような苦しみだから、なんとも口でいいようがなく、なんとも筆で書きようがない。それどころか、自ら体験しなかった人はだれひとり、これを信ずることができない。この苦しみは、もしそれがいっそう高じていたとしたら、あるいはほんの半時間、いやほんの10分の1時間でも続いていたら、人間は完全に死んでしまい、彼の骨はことごとく灰になってしまうほどのものなのだ。こうした瞬間に、神はそのすさまじい怒りにおいて現われ、彼の前にすべての被造がいちどきに現れる。そこには逃げ場もなく、どこからも慰めてくれるものはない。(ルターの神秘体験B (lcv.ne.jp)を読め)

 

 

 つまり、ルターも21歳のときに、暗黒世界の神を見たのだ。青鬼ではなく、この場合は「神」。でも実態は「地獄」だった。

 

こういうことで、西暦650年の役行者と、西暦1140年の西行と、西暦1504年のマルティン・ルターは、ぴったりと心を通じているのである。彼らはB onlyなのです。20歳前後の青年期に、神秘体験Bを疑いようもない絶対唯一の内的体験として感得したのです。そこには井上靖の求めるような理屈も糞もないのです。20歳くらいの時期に、本人にも理由が理解できないまま、突然ストーンと地獄におちたのです。これが神秘体験Bというものなのです。

 

 私たちが、棟方志功2 - dousan-kawahara ページ! (jimdofree.com)で観察したように、神秘体験とは、「思いもかけず」「予告なしに」到来するのです。そして本人は誰にもそのことを話しません。棟方志功は「美の極致、本当のもの(A)が在った」のですが、役行者/西行/ルターは醜悪の極み(B)、すなわち地獄、があったのです。

 

 

 例えばこれ。

画像:国宝|地獄草紙|奈良国立博物館 (narahaku.go.jp)

 

国宝 じごくぞうし 地獄草紙 鉄磑所 1巻 紙本 著色 墨書 巻子 縦26.5 横454.7 平安~鎌倉時代 12世紀

 

 

 あるいは、東京国立博物館蔵の「地獄草紙」

 

 言葉で説明せよと言われても、言葉では表現できないから、役行者は青鬼を使った。

 

 地獄の業火のなかに立ち、頭髪が風になぶられ、上方に逆靡いて、顔色は紺青で、この怪物が牙を剥き、目を嗔らし、右足をたかく上げて今にも私を踏み潰しそうな具合だと、述べている。

 

 

 

  あるいはこれも似たような事態かもしれない。

 

 

 この画像はプーチンが創り出した地獄絵である。

 

 

 ひょっとしたら、プーチンも20前後の時期にB onlyに落ち込んだ経験を持っているのかもしれない。なぜなら、今、本人が全世界に与え続ける脅しは「貴様ら全員を地獄に落としめるぞ」という内容で、それは彼以前にはドイツのヒトラーのセリフだったからだ。

 

でもしかし、若くして神秘体験Bに遭遇した人は、(プーチンや、ヒトラーや、平の清盛など出家を堪えた人たちを除いては)その時点で「諦める」のである。「諦めさせられる」のである。すべての価値観、すべての希望、すべての未来を放り出すのである。西行には素晴らしい武士の世界が待ち受けているはずだった。だが、冷酷無比な神秘体験Bは西行をしてそれらすべてを放り出させた。放り出して「出家」をさせられたのである。誰もかれの決心を変えさせることなどできなかった。

 

これが井上靖には考え付かなかった「西行の理屈」なのだ。一段高い水準の神秘体験というものが世界を動かしているという認識が、井上靖に欠落していただけなのだ。

 

 

 

 もう一度見て頂こう。

 

 

 私はいままで日本に住みながら、こんなに説得力のある彫像に巡り合えていなかった。私は今日ここに来て、こういう素晴らしい彫刻と対面することができて、大変嬉しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

注:

私は前に私のホームページ体験の履歴による (lcv.ne.jp)B only タイプにつき次の記述を行いました。

 

(c) B only タイプ

   神秘体験Bのみの経験を持ち合わせているタイプ。
   日本人には該当者がいないから、日本人にはこのタイプの人間
    
に対する理解が決定的に欠けている。
   西洋ではルターが典型的であるが、カルヴァンも同様の経験を
    
有する。
   現れる神は、「死神」だけであり、逃げ道は絶対にない、と主
    
張する。したがって、人間は永遠に奴隷状態となる。神の前ですべて

 を捨てて祈ることしか残されていない、と信じる。

 

 私はこの記述を撤回します。私はこの吉野の蔵王権現まで来て、飛鳥時代の役行者役小角 - WikipediaB onlyタイプであることを発見しました。もちろん平安時代の西行もB onlyです。日本の思想歴史の開始の時期といえる飛鳥時代に、役行者は聖徳太子聖徳太子 - Wikipedia180度逆の観想を実現し開示したのです。ご立派です。