青森市 棟方志功

2022/01/16

 この度、青森市へ旅行すると決断したが、この真冬の寒い青森市でなにをするんや、という疑念にぶち当たった。

 

 

 もちろん温泉好きのわたくしはJRバスに乗って、八甲田山麓の温泉、酸ヶ湯の千人風呂に入りに行くのは間違いないが、酸ヶ湯を除いたら、他に何かあるか。そう、自分に問いかけた。

 

 

 もちろんある。あの版画家の巨人、棟方志功がある。棟方志功の美術館は、鎌倉山に設立された棟方版画美術館があったが、しばらく前に閉館となり、作品は青森県立美術館である棟方志功美術館に一本化された。

 

画像:棟方志功 - 

画像:異能多才 棟方志功と横尾忠則の展覧会 | ADC文化通信 (adcculture.com)

 

極度の近視のため画面に顔をくっつけるようにして描く棟方志功

 

 彼の写真をGoogleから取り出したら、上の二枚になった。変わっているね。どうやら常人とは相当異なるようだ。

 

 

 そこで、別府図書館に出かけ、『棟方志功 わだばゴッホになる』日本図書センター 1997を借り出してきた。この本は昭和49917日より1015日まで日本経済新聞に「私の履歴書」として連載された記事を底本としたものでありますから、記者の手が入っているから読みやすいし、本人による校訂が入っているから、信頼性が充分ある。

 

 上二枚の写真から窺えるように、常人とは一線を画した「一種の気違い」でありますが、次の画で伺えるように、当初の活動時期からして圧倒的な迫力を持つ作品を作り続けた。文化勲章受章者のなかでも突出する異能者である。天才と称したほうが合っている。

 

 

 青森で育ち、上京した棟方が最初に目指したのが帝展入選であるが、昭和3年、本人25歳のとき、油絵「雑園」でその願いを果たす。この絵は当時の帝展審査員には価値あるものと映ったようだが、現在の私たちにとっては面白くもなんでもない油絵だ。

 

画像:『棟方志功』新潮日本美術文庫441998 から 4 大和し美し

画像:同上

 

 面白いのは、棟方が「わだばゴッホになる」と言い出して、上の板画「大和し美し」を描いたときからだ。昭和5年、本人が27歳のとき、一心不乱になって板画を彫り始めて出来上がったのが、これだ。これが一連の板画の出発点なのですね。

 

 この板画は大原美術館にあるんですって。一度見に行かなければいけません。

 

 この板画が浜田庄司、柳宗悦、河井寛次郎に認められて、棟方志功は出世コースに乗った、というのが通説になっていて、実際そのとおりなのですが、これでは棟方志功を読み違えてしまいます。浜田庄司、柳宗悦、河井寛次郎の三名はたんなる評論家であって、棟方志功の“いのち”(神髄)を見抜いていたわけではありません。

 

 棟方志功の神髄は、本人の自伝『棟方志功 わだばゴッホになる』の副題が示す通り、「わだばゴッホになる」の一言にあるのです。

 

 これが大正10(1921)、小野忠明氏が棟方志功に見せた雑誌「白樺」の口絵「ひまわり」です。

 

画像:絶景探しの旅 焼失した2枚目のゴッホのひまわり  

 

通称『芦屋のヒマワリ』(山本顧彌太山本顧彌太 - Wikipedia

 

  口絵に色刷りでバン・ゴッホのヒマワリの絵がのっていました。赤の線の入った黄色でギラギラと光るようなヒマワリが六輪、バックは目のさめるようなエメラルドです。一目見てわたくしは、ガク然としました。何ということだ。絵とは何とすばらしいものだ。これがゴッホか、ゴッホというものか!

 

 わたくしは、無暗矢鱈(むやみやたら)に驚き、打ちのめされ、喜び、騒ぎ叫びました。ゴッホをほんとうの画家だと信じました。今にすれば刷りも粗末で小さな口絵でした。しかしわたくしには、ゴッホが今描いたばかりのベトベトの新作と同じでした。「いいなァ、いいなァ」という言葉しか出ません。わたくしは、ただ「いいなァ」を連発して畳をばん、ばんと力一杯叩き続けました。

(引用:『棟方志功 わだばゴッホになる』P40より)

 

 これは棟方が18歳の時の事。これを忘れないでください。

 

何ということだ。絵とは何とすばらしいものだ。これがゴッホか、ゴッホというものか!

 わたくしは、無暗矢鱈(むやみやたら)に驚き、打ちのめされ、喜び、騒ぎ叫びました。

 

 

 この表現は、次のことを指しています。「(描き出すべき原風景が彼には既にあって、)その原風景を描き出す手法をゴッホはもっている。私(棟方志功)が求めているのは、ゴッホの手法だ」。こう棟方志功は言っているのです。

 

 

 《星月夜(糸杉と村)》は、画家のフィンセント・ファン・ゴッホによって制作された作品。制作年は1889年から1889年で、ニューヨーク近代美術館に所蔵されている。 

 

出しゃばりで申し訳ありませんが、筆者も筆者の本『正覚のとき』のなかで、同じ経験を記述しております。私もゴッホを引き合いに出しました。

 

 

 「天国へきたような」明るい喜びが私の体中を駆け回った。私は振り返って、東山の斜面を眺めた。杉の木の葉っぱの一枚一枚がまるでゴッホの絵のようにキラキラと揺れた。私は自分で「これが生命なのだ」、私の見ているのは「生命」なのだ、と理解した。生命が私の心眼に見えた。私の周囲のすべてが生命の輝きをもって揺れた。

 (『正覚のとき』丸善プラネット2019 P23正覚のとき - 丸善出版 ) 

 

これは神秘体験Aの記述ですが、神秘体験の経験者は、お互いにお互いの話していることを、すべて理解しているものなのです。分からないことはなにもありません。だから、これから私が話すことは、「神秘体験の体験者が、神秘体験の未経験者に、ゆるゆると神秘体験というものを説明する」ことだと心得てください。