Brad Thor 2

 

Use of Force(「実力行使」)

 

画像 発端となるのは、September 11, 2001のニューヨークのトィンタワー事件だ。犠牲者の数は2,977人に上った。アメリカ政府は直ちに反撃を開始した。

 

 

 ブラッドソーの「実力行使」の冒頭部分、つまり問題の本質、あるいは事の発端というべき部分を翻訳した。拙い翻訳で申し訳ないが我慢して読んでください。

 

 

 

 世界の問題点がイスラム原理主義であり、彼らが少数のテロリストを使い日本の特攻隊精神で突っ込んでくるとき、世界には第一次大戦とか第二次大戦とかいうような過去の大規模な武力衝突は無くなってしまい、精密な情報探査により浮かび上がったテロリストというわずかの数の犯人相手に戦うミニ戦争にならざるを得ず、情報探索の分野ではNSAが働き、テロリストの撲滅についてはCIAがごく少数の暗殺者を使ってことにあたる、というミニミニ戦争となる。少数者のテロリストの動きは早いから、CIAFBIという区分けはもはや無意味になる。

 

 だから、このミニミニ戦争ではCIAはアメリカ国外、FBIはアメリカ国内という区域分けは意味を失う。敵が出現した場合、CIAがその暗殺部隊を出動させ、アメリカ国内外を問わず活躍させる時代になる。これは違法行為であるが、この違法行為を正当化するために、

 

  

1.      CIAは国内に暗殺部隊を所属させるための私的企業を設立し、

 

2.      CIAの暗殺部隊の暗殺者は、その私的企業に私人として所属し、身分保障なきままにアメリカ国内外で活動することとなる。

 

3.      とはいえ、その指揮官はアメリカ大統領であり、形式上は議会の承認を得ないままの隠密作戦で取り進める以外に方法はない。

 

 

というややこしい筋書きとなる。この矛盾だらけの実態をこの小説は主題としているようだ。

 

                                       画像アメリカ人たちは、彼ら自身がNSACIAFBIによる完全

                                        な監視下におかれているのを自覚しているのだろう。戦争の概念

                                        は変化して、精密監視体制が基本となったように見える。

  

                                        注:NSAのデータセンターについてはUtah Data Centerを参照せよ。

 

 

原文は、Brad Thor Use of Force(「実力行使」)published June 27th 2017 by Atria/Emily Bestler BooksP30から。なお、挿入写真は、原文には含まれない過去のテロ事件の写真。編集者による任意かつアット・ランダムな挿入です。ご了承乞う。

 

 

 イスラム国は、領土を奪われ、敗北に敗北を重ねて、コーナーに追い詰められて傷ついた動物のようになっていた。絶望した挙句、彼らは時と所を選ばず、アメリカ人への攻撃を呼びかけ、襲い掛かった。彼らが送ったメッセージは明快であった。安全な場所はどこにもない、と。

  

 これにたいしてアメリカ大統領は彼自身の非常に明快なメッセージを送った。イスラム国が潜り込むべき岩も逃げ込むべき深い穴もない。イスラム国のメンバーが隠れようとする場所を合衆国は探し当てることを約束する。すべての場所だ。アメリカは地の果てまでも敵を追い続ける。そして仮借なく実行する、と。

 

 だが問題は、合衆国のなかで大統領に全員が賛成したわけではなかったことだった。彼の政策に反対する人たちもいた。彼らが問題としたのは、大統領が実行するところはテロリストが望むまさにそのものであり、我々はテロリストの手中に陥ってしまったことだとした。彼らが期待するのはカーボーイではなくて、どちらかというとサムライだ。サムライは賢く、忍耐強く、絶対に必要な場所と時にのみ限って打って出て、そして闇のなかに消える。

 

 それからまた、なんの反撃も与えたくない人たちもいた。彼らが主張することは、反撃すれば暴力のサイクルが永続するだけだ。我々が中止しなければ、イスラム国も中止しない。そして状況はどんどん悪化する、と彼らは主張する。

  

 多くの人たちが感じたところだが、大統領は彼らの意見を評価せず、考慮することさえしなかった。だが、彼を知っている人たちは―彼が助言を求める小規模のサークルであるが―それが事実ではないことを知っていた。

  

 大統領はこの戦いを進めたくはなかった。だが、これはまさしく戦争であった。実力行使はかれが軽々しく採用したものではなかった。彼のもっとも希望するところは平和であった。彼が望むところはアメリカ国民の安全以上のものではなかった。彼はアメリカ人が国内外での安全を最高司令官としての第一番の責任だと考えていた。それはすべてを差し置いての義務であった。

 

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Mumbai Blast, 1993

 

There were a series of 13 bomb explosions that took place in Mumbai on 12 March 1993. This 1993 Mumbai Blast had been the most destructive bomb explosions in Indian history. In a single-day, the casualties resulted in over 350 fatalities and 1200 injuries. The Indian investigation agencies and Mumbai Police suspected that Dawood Ibrahim was mastermind of this blast. He did all the blasts through one of his aides, named Tiger Memon.

 

 彼はまた、同胞たる市民が知りえぬことを内内に関知している。毎朝、彼は機密情報の概況説明を受けていた。それはISISやアルカイーダのような組織がいかに危険であるかを明確に述べていた。

  

 彼らは彼らが地上を支配するために選ばれたと信じている狂信者である。その理念を実現するためには、アメリカとその同盟国を聖戦により支配下におかなければならない。この目標のためにすべてを犠牲にする。これ以外の行動は、神に対する反抗となる、と。

  

 彼らを追いやる原理主義は一種の癌である。それに接触したほとんど全員が感染する。そしてしかもこの癌を除去するのにもっとも適した人たち(イスラム教聖職者)は、勇気と欲望に欠けている。この宗教と彼らの神の名前のもとにどのように多くの極悪非道が実行されようと、イスラム世界はこの問題と戦うことがまったくできない。

   

 イスラム世界と自由主義世界からの協力がほとんど得られないことから、大統領は摂るべき選択肢が殆どなきままとりのこされてしまう。そしてこれらの選択肢も、アメリカの同盟国の財源不足と自分自身の土地での過激派の波状攻撃により、狭められてしまう。

 

 

画像:May 18, 2017, New York

 

26-year-old Richard Rojas (seen here running from his vehicle moments after he struck 23 people in New York’s Times Square on May 18, killing one), whose car ran up onto pedestrians, shows why bollards added to spots on the Las Vegas Strip might indeed save lives. Rojas reportedly said, “I wanted to kill them,” and the Islamic State has expressed the same intention towards the entire West. (Image: Charles Guerin /Bestimage /BACKGRID)

 

 

 大統領の意向に反対するアメリカ人の声を尊重している間にも、大統領はすでに水平線上になにが生じるか予見することができる。もし合衆国が行動しなかったら、なにが起こるかを予見する。

  

 イスラエルのように、アメリカ人たちは常時包囲された状態であると自覚するようになる。浜辺、レストラン、汽車、バス、ナイトクラブ、スーパー、学校、遊び場、ドック・パーク、映画館、スポーツ・イベント、パレード、ショッピング・モール、彼らが神に祈る場所、等々、オフ・リミットとなる場所はなにもない。

  

 そして攻撃が度重なると、驚愕した住民たちは対策が講じられるべきだと要求する。武装した護衛と治安検問所がいたるところに設けられる―そしてそれさえもアメリカの敵たちを躊躇させるに十分ではない。テロリストたちは、アメリカ人が学校で子供たちを自動車から降ろすときにも、あるいは最新のブロードウエイのショーでボディー・スキャナーを通り抜けるために列をつくっているときにも、攻撃を行う。アメリカ人すべてを常時安全確保することは絶対不可能なのだ。

 

 だが、もっとなにかせよ、という要求はどんどん強くなる。最終的に官僚たちや政治家たちが介入し、テロ行為を規制で締め出そうとする。この時点で、アメリカはとても危険な方向転換を行う。ベンジャミン・フランクリンが言ったとされる言葉のように、「わずかの安全を求めてわずかの自由と交換する人たちは、そのどちらをも受けるに値せず、両方を失う」。

  

 手短にいえば、それが大統領の最大の恐れであった。そこで彼は行動すべく決心する。

  

 彼の政治資産の多くを使い、FBIの予算を劇的に増加させたのだが、FBIは失敗した。FBIは五十州すべてで活発な努力をおこなったが、探索を行った場所では敵はどこにもみつからず、FBIはさらに徹底的な捜索を要請された。テロリストたちの来襲はとても早かった。―あらゆる場所から、そして生活のあらゆる分野から。単純に事件の数が多すぎた。手がかりが多すぎた。そして捜査官の数が十分ではなかった。

  

 というわけで、大統領に残された行動方針はたった一つであった。だが、その行動は、明るみに出すと、かれの弾劾につながりかねないものであった。

  

 (CIAの)Harvathを見てMcGeeは言った。「Burning Manで起こったことを話し合おう」。

 

 

画像14 January 2016Jakarta

 

本テロは、スターバックス爆破(自爆)に始まり、その直後の警察詰所爆破、続けて実行犯2名による警察、一般市民への銃撃、最終的にこの実行犯2名の射殺により幕を閉じた。この間手投げ弾も含め大小6回の爆発が発生。実行犯は4名、全員インドネシア人。実行犯全員が死亡したほか、一般市民5名も事件に巻き込まれ死亡。その他、警察・一般市民あわせて22名が重軽傷を負った。(引用http://indonesiashimbun.com/society/ledakan-bom-di-sarinah.html

 

 

 Harvathが行っていたのは不正契約であった。厳密に解釈すると、彼が行っていたことの全ては日の目を見ることのできないものだった。だが、ハッカーと文書漏洩が横行する時代にあっては、特別の観点から書類を何も残さないことが眼目とされた。

  

 政権は変わる。それに従ってCIAの行動規範に関する意見も変わる。9/11攻撃以降の月日にあたって政権はいろいろと変わった。それに従ってCIAの行動規範に関する意見も変った。9/11攻撃以降の月日にあたって正当とされることは、将来のある時点で再吟味されるときには、異なる評価基準となることもありえる。Harvathに関する限り、歴史による判断を避けるための最上策は、なによりも歴史の一部分にしないことだった。

  

 Harvathはこの大統領の考え方を理解した。彼は個々人の自由につき深い感情をもっていた。彼はアメリカ人の安全を保持することに気を使った。

  

 CIAに属していた彼は、ISISやアルカイーダのようなグループの完全な野蛮主義を身近に観察した。また、彼は、女・子供を含む彼らの犠牲者たちにテロリストたちが行ったことを目撃した。

  

 彼の経歴のなかでもっとも辛い瞬間の一つは、誘拐されたイラク人の警官の子供の救出を行ったときである。彼の腕のなかでその小さな子供は息を引き取った。その子供が受けた拷問は残虐の程度を超えていた。

 

 このような経験を隠すために、人間の心は非常に多くの暗いコーナーを持つ。これが理由で、Harvathは、時々、一人でバーボンの半ダース二個あるいはバーボン一本をもってひきこもる必要があった。長く走り続け、大量の重荷を背負うことから、彼はその重荷から解放される時間を多く必要とした。

 

 

                           画像: Islamic Terrorist Attacks The Louvre in Paris While Shouting “ALLAHU AKBAR!”

 

                            3 February 2017

                           犯人は29歳のエジプト人。マチェテを振りかざし、ルーブル美術館の観客を襲った。

 

 

 これらの事柄を処理することは健全な方法ではなかった。だが不幸にも、人間の心にはデリートボタンが整備されていない。だから時々、ほんのちょっとの時間であっても、彼には忘却の時間を必要とした。

  

 これらの重い記憶を引きずり回すことはとてつもない重荷であったが、それは仕事の一部であった。

  

 狼を狩り立てる誰かがいないことには、羊たちはけっして安全ではない。狼はとても迅速に数を増やす。牧羊犬は圧倒されてしまう。それは生存の問題なのだ。

  

 そこで大統領がアメリカの戦闘規則を変更する決断を行ったとき、Harvathはそれに従うこととした。

  

 これらの新しい戦闘規則はBurning Man(冒頭の先頭場面)の場所で彼に課せられたものであり、正式な許可なしに実行された。テロリズムの堤防からの水漏れをふさぐ手立てとしてFBIには十分な手足の指がなかった。

  

 可能なときにはいつでもCIAFBIと機密情報を分かち合った。

  

 だが、しばしばその機密情報は棚上げにされた。それは彼らの過失ではなかった。彼らは防火用ホースから水を飲むことを強制されたようなものだった。

  

 大統領による暗黙裡の勧奨があって、ラングレー(CIA)は自らの作戦を発展、企画、そしてより多く実行し始めた。それはどの視点をとるかにもよりけりなのだが、Burning Manは壮麗な成功あるいは壮大な失敗のどちらかだった。

  

 Harvathの概況説明を聞いて、McGeeRyan両人はこの作戦を成功だと考えた。もし他のボンバー(爆破実行者)が爆弾を爆発させたならば、もっと多くの人たちが殺傷されたであろう。

  

 誰も、そしてHarvathでさえも知らなかったことだが、それが爆発する瞬間まではそれは有効な策略だった。もし彼らがFBIとその山のような機密情報を共有していたとしても、Hamza Rahimに対する監視チームを任命するまでには随分長い時間がかかっていただろう。

  

 「飛行機がBlack Rock City Airportから飛び立つや」Harvathが彼の報告の最後に言った。「私はかれらにたいする仕事を開始した。そのあとのことはご存知だろう」

  

 そう。彼らは実行した。Rahimはとても非協力的であったので、Harvathは圧力を徐々に強めていった。かれの出身地であるエジプトに帰されるというボンバーの恐怖感を利用したのだ。

  

 HarvathRahimに確信させたことは、彼らのジェット機には十分な収容能力があるから、このままエジプトまで飛ぶことは可能だし、エジプト人は彼を喜んで迎え入れ、彼がRahimから取り出そうとしている情報を得るべく協力するだろう、ということだった。

 

 

画像 the London Bridge terror attack 3 June 2017

 

英国の首都ロンドンにおいて、201763日土曜日の2208分(BST)ごろ発生した一連の襲撃事件である[1]。最初の襲撃はロンドン中心部テムズ川にかかるロンドン橋で、実行犯は、ワゴン車を暴走させ橋上の歩行者数人を次々と轢いていった[1]。続いて、被疑者はバラ・マーケット付近へ移動し、車を乗り捨てた上で数人を刃物で刺傷させた[1]。実行犯3人はいずれも駆けつけた警察によって射殺された[1]。射殺された容疑者らは自爆ベルトのようなものを身に着けていたが、偽物だと判明した。死者は8人、重軽傷者数は48人以上とみられている[1]

 

 

 Rahimはエジプト人たちがどういう風にして捜査するかをよく知っていた。彼は以前にエジプトの秘密警察によって厳しく拷問されたことがあった。彼は二度とその経験を繰り返したくはなかった。アメリカ人が彼をどのように監禁するかはいざ知らず、エジプトに帰ることよりも悪くなることはなかった。

  

 そこで彼は徐々に協力し始めた。―どのように攻撃計画が立案されたか、どのように金繰りがつけられたか、なぜ彼がリクリエーション車に帰ったかを自白し始めた。

  

 発見を避けるために、自殺用胴着は別途密輸され、現地で組み立てられたこと。だが、あの現場であの爆弾製造者は神経質になっていた。Rahimは彼が変心するのではないかと懸念し、攻撃ののち捕縛されるのではないかと心配した。

  

 これはビジネス上の決断だった。それ以上でもなく、それ以下でもなかった。爆弾製造者はタガがはずれており、これを締め直す必要があった。

 

画像  Brennan Linsley, AP Photo

 

In this June 27, 2006 file photo, reviewed by a US Department of Defense official, US military guards walk within Camp Delta military-run prison, at the Guantanamo Bay US Naval Base, Cuba. A draft executive order shows President Donald Trump asking for a review of America’s methods for interrogation terror suspects and whether the U.S. should reopen CIA-run “black site” prisons outside the U.S.

 

注:グアンタナモ強制収容所(上)の閉鎖方針に従って、囚人たちはコロラド州を含む多数の収容所への移送が行われた模様。

 

 

 Rahimとその他の組織メンバーはコロラド州にある秘密施設に移されて更なる尋問が行われた。引継ぎが終わるや否や、ジェット機はHarvathと彼のチームをワシントンDCへ送り届け、そこで彼らは解散した。

  

 Harvathは彼のガールフレンドとその家族がいるボストンにフラットを借りていたのだが、バージニア州にある彼に家は正式には手放していなかった。

  

 その家はポトマック川沿いにあり、ジョージ・ワシントンのマウント・ベルノンに近かった。家具の大部分はなくなっていたが、生活するのに最低限の家具は残してあった。

  

 何がなくても、そこは「家」たるに十分で、砂漠地帯の埃をシャワーで洗い流し、衣類の全てを洗濯機に放り込むことができた。

 

 彼がボストンに帰ろうとしていたところに、電話があり、青い秘密家での会議が招集された。彼はRahimに攻撃の仕事を負わせたISISの陰謀者たちについて次になにをすべきか決定するのが眼目なのだろうと考えた。

 

 「次はなにかね?」とHarvathは尋ねた。「組織メンバーを尋問する亡命者キャンプかね?」

  

 McGeeは首を振った。「それについては他の者を当てるさ」

  

 「ほかの者? どうして?」

  

 「その理由はな」部長は答え、ファイルを開き、一枚の写真を取り出し、彼に渡した。

  

 Harvathはその写真を調べた。

  

 「彼の名前はMustapha Marzoukだ。」Ryanが言い、取って代わって概況説明をした。「彼はチュニジアの男で、化学の学位をもっている。」

 

 

 

 

引用終了。

 

画像

 

U.S. Army Military Police escort a detainee to his cell during in-processing to temporary detention at Camp X-Ray at Guantanamo Bay Naval Base, Cuba, on January 11, 2001. The detainees will be given a basic physical exam by a doctor, to include a chest X-ray and blood samples drawn to assess their health, the military said. The U.S. Department of Defense released the photo on January 18, 2002.

 

 

 結論として、題名の「実力行使」は、軍隊によって戦われる「戦争」ではなく、「CIAによるテロ防止目的のテロリストの殲滅作戦」であると解釈されよう。