Scott Turow

 

2018/05/17

 

 

スコット・トゥローは、何年か前に「推定無罪」を書いた男ですね。リーガルサスペンス小説家。法律用語を多用するから、かれの小説を英語で読もうとするととてもしんどい。法律用語が多用されるからだ。

 

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  ところがこの小説の魅力は、場所がボスニアというややこしい場所であることだ。ユーラシア旅行社のツアーでもさすがにボスニアは扱わない。

 

 

 わたしたちには足を踏み入れることはおろか、なぜ足を踏み入れないかという理由を想像することすら難しい場所だ。

 

 画像:GoogleMap, 2018 ボスニア・ヘルツェゴビナ

 

 

 私自身にとっては、足を踏み入れた経験もない異国である。40年前にお隣のクロアチアのザグレブまで行ったことはある。飼料添加物をウイーンの商社経由で売っていたのだが、支払いが滞ってしまったので、催促に行った。ウイーンから小型飛行機をチャーターしての日帰り催促旅行であった。街のたたずまいも冷たく、うらぶれた灰色の街には夢も希望もみえない有様だった。

 

 画像:198110月、ザグレブ(ではなくて、ウィーンだったかな?)。

 

  当時クロアチアは共産主義国であり、官僚の支配する東側の貧乏国であった。農業公団の部長(女性)は、「私たちは現地通貨で銀行に支払った。クロアチア国の外貨が不足していて、国外への(USドルでの)支払いが滞っているだけなので、理解してほしい」と例によって東側の官僚組織の暖簾に腕押しの決まり文句だった。鉄のカーテン越しのなんだかわけのわからない悔しい交渉であった。しばらくして売掛金は入金したが、延滞金利の支払いも何もない有様であった。ただ、この商品の供給が途切れると、クロアチア国の牛も豚も鶏も栄養不良になるので、契約は(仕方がないからしぶしぶ)継続させた。

 

 こういう風に不条理だらけの国情であったが、その当時は東側諸国との取引は大方似たような有様であった。

 

画像:GoogleMap, 2018 首都はサラエボ。小説の舞台はトゥズラ。

 

  トゥズラ近辺を拡大すると、

 

画像:GoogleMap, 2018

 

赤印がついた場所がトゥズラの街で、中央下部に見える飛行場が2004年にNATO軍のアメリカ部隊が駐留していた飛行場である。この近辺にジプシーの村があったが、ある晩、正体不明の軍人がこの村を取り巻き、銃でおどして400名のジプシーをトラックに載せて、岩塩採掘場の洞窟に連れ込み、がけ崩れを起こし、全員を虐殺した、というのがこの小説の舞台背景である。

 

 

 この国ボスニアは1980年にユーゴスラビアのチトー大統領が亡くなったあと、1992年にボスニア・ヘルツェゴビナ共和国として独立したが、セルビア人、クロアチア人、モスレムの異人種間での抗争が生じ、大規模な虐殺が発生した。殺された人の数は約10万人、組織的な民族浄化だった。

 

 ボスニアのセルビア人指導者Radovan Karadzicは最終的に2008年ベオグラードで逮捕され、旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷に引き出され、2016年に、大虐殺、戦争犯罪ならびに人類にたいする犯罪の咎で40年の投獄判決を受けた。

 

画像ラドヴァン・カラジッチ BBC Newsから。

  

 上の写真の説明のなかで述べたジプシーの虐殺が、実はRadovan Karadzicによってなされた犯罪であることを立証するのが、”Testimony”の主人公であるアメリカ人検事Bill ten Boomの仕事である。

 

 

 ボスニアという土地が私たちにはまったく馴染みがない上に、ジプシーという浮浪民族にたいする知識がまったくわからない私たちにとって、だからこそ、この小説は面白い。

 

 

 先日、私はルーマニア北部のブコビナへ中世の修道院(https://kohnoshg.webnode.jp/海外旅行記/bukovina/)を拝観しにいきました。その地方の中心都市スチャバで聞いたのですが、この都市の北(北スチャバ)にはジプシー地域があって、北スチャバ駅はスリ、ひったくりが横行しているという話を聞いて、真っ青になりました。私のブカレストへの帰りの汽車切符は北スチャバ発になっていたからです。私はステーション・ポリスの駐在するスチャバ駅に逃げ込んで事なきをえましたが、あとでブカレストの警官に聞きましたら、やはり北スチャバはジプシー地帯で非常な危険地帯とされているというのでした。

 

画像2016/06/02撮影。Moldvita修道院。 

  ついでだが、ブコビナの修道院の壁画はイスタンブールがオスマン・トルコに占領された(1453年)あと、イスタンブールから逃げ出したビザンティン壁画職人が当地へ出張して描いたもの。壁画そのものには独創性はない。古典壁画のモティーフの踏襲である。修道院の外壁を壁画で埋め尽くすことによる修道院の外的美観が世界遺産の認定に役立った。

 

  このように日本人が体験をもたないままこの小説を読むと、「一体、ジプシーとはなんだ?」という疑問が真っ先に浮かび上がります。西欧社会では泥棒の地下組織を作っているのがジプシーであるという認識が頑丈につくられていて、つまり薬物とか自動車の闇市場を牛耳っているのはジプシーだというのです。そういう風にジプシーの実際面を捉えると、正義という概念の根底がわからなくなります。第二次大戦時代のヒトラーの心境を思い起こすのです。「畜生共は皆殺しにせよ」という虐殺命令が正義のように聞こえるのです。

 

  

 そういう意味でこの小説は作者による背景の下調べが丹念になされ、それがほとんど完璧であるから、面白い。日本人の認識を越える彼方を詳説しているところが面白い。

 

画像:岩塩鉱山跡を利用して作ったPanonska jezeraTurlaという名前の人工湖プール

 

  トゥルラというこの地域は岩塩の採掘跡が多い。上の写真は岩塩採掘跡が市民の娯楽プールとなっている。このような一見楽しそうな土地に、ある日突然ジプシーの集団がふらりと現れるのだ。不気味ですね。

 

 

 余談だが、ボスニアのGoogle地図をもっと拡大すると、国内にスルプスカ共和国との国境が現れる。ボスニアの国のなかでセルビア人の住む地域がスルプスカ共和国となっていて、国家自体が二本立てとなっている。これも日本人には理解しがたい。