八幡朝見神社

 

2018/12/08

 

  

 今朝は気象庁の予報通りで寒い朝となった。だが、天気は良かった。

 

 家を出て別府公園東門通りを真っすぐ南に歩くと、どんどんと山が迫ってきて、約15分で朝見川を渡ることになる。朝見川は別府市の南端を山に沿って下っているのだが、昭和26年と29年に台風で大氾濫した実績があるから、現在はこの川の両側は高い堤防で遮られ、十分に管理制御された川の様相を呈している。

 

 この橋の上から眺めた写真が上である。左側の鉄橋は高速道大分自動車道の橋で乙原川を渡るから乙原橋というのかな?その左手前の白い巨大なタンクは朝見浄水場の水タンクである。鮎返ダムの水をここに貯めているのである。

 

 その右の山は船原山に通じる山尾根である。ラクテンチからもう一段ケーブルカーがあるらしいが、私はよく知らない。登ったこともない。

 

 風車が建っている場所とラクテンチという看板が立っているところは遊園地「ラクテンチ」である。幼児用の遊園地。ケーブルカーで登るのである。

 

 その背後に聳える山が鶴見岳で標高は1375m。その右に見えるのが内山(1275mだろう。このあたりでは鶴見岳がダントツに高いのだ。今朝は頂上が氷点下6℃くらいになったものだから、今年はじめての積雪に見舞われた。白い姿が美しい。

 

 拡大するとこうなります。

 

  

 この鶴見岳は過去に何度も噴火して災害を麓にもたらした。その様子は八幡朝見神社の歴史を読めばわかる。

 

写真:八幡朝見神社

 

 

〈八幡朝見神社〉(Wikipediaからの引用

 

              歴史

 

建久7年(1196年)、大友能直が豊前・豊後の守護となり、入国の際に鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請した。能直は領内に「七社の制」を定め、七社の八幡宮(豊後八幡七社)を創建または再建した。当社はそのときに創建されたものと伝えられ、以降大友家の崇敬を受けた。創建の際、神輿の供をして着任した鶴岡八幡宮の神職、福田土佐守源高政が当社の神主となり、以降高政の子孫が奉職し、姓を福田から神(こう)に改めて現在に至る。当初は龍ヶ岡(現在の乙原)に社地があったが、鶴見山の噴火により社地が崩壊したため、正平3年(貞和4年、1348年)に現在地に遷座した。

 

 

  この記述から

 

1.      八幡朝見神社は源頼朝の御代の時代に創建された鎌倉時代の神社なのだ。創建されたとき、神社の場所は龍ヶ丘(現在の乙原)だった。

 

2.      正平3年(貞和4年、1348年)より数年前に鶴見岳が噴火して、火砕流か土石流が発生し、社殿が崩壊したため、場所を朝見に移した。

 

 ことが判明する。1348年というのは鎌倉時代が終わって南北朝時代である。

 

 

  

Wikipedia鶴見岳には鶴見岳の噴火状況として、下の記述があるが、これに加えて、上で見たように南北朝時代の噴火も加えておかなければならない。

 

    771年(宝亀3年)79日、伽藍岳で水蒸気噴火が発生。泥流によって死傷者多数、家屋損壊した。

      849年(嘉祥2年)頃に山頂北側で水蒸気噴火をした記録がある。

  ・  867(貞観9)228日、伽藍岳で水蒸気噴火が発生。青泥池、黒池、赤池が震動し硫黄臭が遍満

      する。さらに噴火し、沙泥が数里四方に積もる。泉が沸騰し、川となって山麓の道路を塞ぎ、川に

      至って魚数千万が死ぬ。

 

 写真:八幡朝見神社のご神木である楠。ちょっと見づらいですが、

   右側の木の4倍ほどの直径ですね。

 

 

八幡朝見神社のホームページには朝見神社の風景の一つとして次の記述がある。

 

 

御神木 大くすの木 - 樹齢1000年余り -

       緑溢れる厳粛な朝見神社の杜、

             その中でもひときわ見事な御神木「大くすの木」は、

             樹齢1000年を越えており、豊かな緑と生命力に充ちた威風を拝殿のかたわらで誇っています。

             胸高幹囲11m樹高30mと全国でも有数の巨木であり、

             県天然記念物に指定されています。

 

 

現在が2018年で、八幡朝見神社が創建されたのが1196年ですから、この神社は創建されてから822年しかたっていない。このご神木はこの神社が創建されるよりも200年ばかりも古い、ということになる。かりにこのご神木が樹齢1000年であったと仮定すると、このご神木は創建されたあとに植えられたものではなく、平安時代に植えられた、ということになります。

 

 画像:そう言えば、宇佐神宮上社前に立つご神木も楠です。高さ約30メートル、幹まわり約5メートルですから

         八幡朝見の楠の木のほうが巨大です。

 

 

楠という木は樟脳の原料です。木そのものが樟脳の匂いがするのです。日本では奈良時代に仏像が楠で造られていた、という事実があります。仏像がヒノキで造られるようになったのは平安時代です。詳しくは知りませんが、昔から、八幡神社にはご神木として楠を植える風習があったのかもしれません。たくさんの八幡神社が楠をご神木にしています。

 

 

 

興味深いといえば、結婚式。

 

  

 同じく巨木ですが、杉二本の間をすり抜けて進むのはいまから結婚式を挙げようというカップルです。

 

この二本の巨木の間を抜けると、別れることがなくなる、というのですが。

 

  おふたりは無事通り抜けられたようです。

  

 二本杉を通り抜けたあとでは、こんなにニコニコするものでしょうかね。拝殿へ向かわれるカップルです。

 

 

 さて、長い参道を抜け朝見川の下流に降りてきました。後方に見える鶴見岳から流れ落ちる水あるいは土石流のために作った頑丈な護岸です。これで八幡朝見神社の話は終わりです。

 

 

写真:写真集「別府」阿部巌編 昭和55225日発行 国書刊行会 P71

 

 

 調べていたら、なんと明治31年の「八幡朝見神社参道」の写真を見つけました。朝見病院はもうこの頃から存在していたんですね。驚きました。

 

  私は今日、帰りに別府駅近くの田の湯温泉で入浴してきました。

画像

写真

 

 入浴料は100円です。別府の街の人たちは仕事中であっても、ちょっと空いた時間があれば、入浴されるようです。15分もあれば一風呂浴びられますからね。

 

 

 

 

 では皆さま、御機嫌よう。