照湯2

2020/10/29

 そういえば、この温泉は由緒がいろいろあるようで、ロビーに由緒書きが飾ってある。

 

 まず照湯全体図。

 

 

別府八湯の歴史

照湯惣図

1830(天保元)年、所領(森藩久留島領)巡検に来た藩主久留島通嘉は、祓川の川岸の温泉場の興廃を嘆いて、大庄屋・直江雄八郎重枝と庄屋・佐藤忠左衛門などに命じて、祓川左岸の照湯の地に、浴場・お茶屋・湯滝・築山・庭園などを造営させた。

『鶴見七湯廼記』は、森藩久留島領の幕末の別府温泉景観を知ることができる貴重な史料である。

絵図は、照湯惣図。

 

説明

 

 上の照湯全体図の右下に火男火売神社(ほのおほのめじんじゃ)が描かれている。現在の様子と変わらないから、現在の火男火売神社の建物は幕末以来変わっていない、と考えられる。

 

 

照湯の歴史については次照湯 風呂 別府市 歴史 別府の歴史 浴場 (beppu.biz)を見よ。

次の情報02_04.pdf (city.beppu.oita.jp)も読んで楽しい。

 

 

 ついでながら、この照湯のロビーには、温泉紹介の長い巻物が展示してある。お見せしましょう。

 

 

 以上。

 

注:鶴見村の詳細については、

 

                 「勘定奉行になった庄屋」入江秀利、「別府史談」第十二号、1998

 

 

に詳しい解説がある。