正覚のとき2

 

2019/06/22

 

写真:2008613日撮影。Eisenachにて。

 

 本日第三校を丸善に送り返し、校正作業がすべて終了いたしました。

 

 これで最後の修正を終えてから印刷に取り掛かり、出来上がるのが720日ごろになるということです。

 

 市販分については販売価格を1200円にしたいとの申し出が丸善からありましたので、そのまま受けておきました。本の販売について素人が値付けにつき口出しできるほどの知識があるわけではありませんから、販売担当の丸善さんにお任せしておいた方がよいと思ったからです。

 

写真:2008613日撮影。Eisenachにて。

 

 坐禅3最後尾で私が書いた「ナチス論者に差をつけるようでいささか申し訳ないが」という箇所につき丸善の編集者から別の表現にしてはどうかとの提案がありました。この箇所でナチスを論点として取り上げることには、いささか違和感があるように丸善さんの編集者は考えられたようですが、これはきっぱりお断りさせていただきました。 

 

私は形而上学がナチス思想の根幹を形成していると考えているのです。日本人は大学で形而上学が至上の哲学と教えこまれていますから、形而上学=ナチスは奇妙に聞こえるようですが、私が『正覚のとき』のなかで説明しているように、形而上学は神秘体験Aをただ一つの「絶対的真理」と看做す「カルト」であり、ナチスの根本理念を構成する哲学なのです。

 

写真:2008613日撮影。Eisenachにて。

 

 

 まったく救われようのない事態ですが、日本では今でも、東京大学と京都大学で形而上学を至高の哲学として教えているのです。現在世界で、形而上学を大学で教えこんでいるのは、ドイツと日本だけです。民主主義国で形而上学を教える国はほかにありません。時代錯誤も甚だしい、と思います。

 

 形而上学を国是として教え込んでいるのですから、形而上学を主幹とするナチス主義を批判できるわけがありません。ナチスは600万人弱のユダヤ人ならびに社会的弱者をホロコーストとして虐殺しました。

 

画像アウシュヴィッツ第一強制収容所における遺体焼却炉

 

 

 民主主義国においては、基本理念の発案者であるイギリス人ジョン・ロックが定義したように(神秘体験45神秘体験に与えられるべき評価 (lcv.ne.jp)を参照乞う)、神秘体験Aを絶対的な唯一の存在とする考え方を「カルト」と定義してこれを忌避するよう指示しているのですから、カントを含む形而上学は「悪」の権化なのです。

 

画像ナチス

 

 

 とは言え、哲学というのはこれを変えるのはなかなかに難しい。だから第二次大戦から70年余経った今でも、ドイツと日本は民主主義からの変節者であり、民主主義国とは看做されていません。東京大学と京都大学の哲学者たちが頑強に変節を拒否しているからです。嘘だと思ったらこれらの大学の哲学者に聞いて御覧なさい。「形而上学は至高の哲学か?」って。

 

 すぐに間髪を入れずに返事が返ってきますよ。嬉しそうに「勿論だ」と。

 

 彼らは意図的に民主主義を破壊する亡国者としか思えません

 

写真:2008614日撮影。Weimar市街にて。文章とは無関係だが第二次大戦の余韻か。