正覚のとき3

2019/07/07

 

 

 2,3日前に調べたときは、今日は晴の予報だった。

 

 だから、今日は朝御飯を済ませて、すぐ野良着に着替えて、といってもジーパンに着替えただけなのだけれども、8時になったから、さあ、刈払機を取り出すぞ、と意気込んで、外を見たらなんと雨が降っている。

 

 毎年77日ごろに雑草を刈払機を使って刈り取ることにしているのだ。これより早くに雑草を刈ると、夏の終わりに雑草が伸びてきて見苦しくなるので、この頃に刈り始めるのが「塩梅」がよい、と心得ているのだ。

 

画像 ソーセージと野菜のこってりケチャップ炒め

 

 

 朝食はJAのスーパーで買ってきたミックス野菜の袋をフライパンに入れて、炒め、これもスーパーで買ってきた軽井沢ソーセージを二本、同じフライパンで焼き、これらを皿に載せて、トマトソースをかけて美味しくいただいたのだが、食後フライパンを調べたら、黒く焦げ付いている。

 

 先日同じレシぺでソーセージ野菜炒めを作ったのだが、フライパンのなかにトマトソースを入れて、加熱したら、トマトソースがフライパンのなかで焦げ付いて、たわしでは剥がれないほどに焦げ付いた。パソコンでしらべたら、このような場合、フライパンに水を張って、①重曹、②クエン酸、③酢を加えて煮沸すれば、焦げがきれいに取れるということだった。私はパンを家で作ることがないので、重曹の手持ちがなく、クエン酸などというおどろおどろしき薬品の持ち合わせもなかったので、騙されたと思って酢でやってみたら、焦げ付きは綺麗に剥がれてくれた。

 

画像 軽井沢ソーセージ

 

 そこで今日も、雨が降っていて野良仕事もできないのだから、同じ要領でやろうと思い、フライパンに水を張り酢を加え、加熱した。

 

 ここまでは良かったのだが、ちょっと天気予報を見てやれ、と二階の仕事部屋でパソコンで天気予報を調べた。

 

 これが悪かった。ついついパソコンに気を取られた。妻に常にくどいほど言われているのだが、「あなたは歳をとっているのですから、ガスに火をつけたら、その側を離れてはいけませんよ」。 

 

 案の定、気がついてみたら、30分経過しており、台所に降りてきたら、フライパンそのものが、煙を上げていた。ガラス蓋の木製の取っ手が燃えていた。アウトだ。直径25cmのフライパンとガラス蓋を新しく買わなければならなくなった。残念。

 

 

 

2019/07/10

 

 どうも今年は天気が悪い。天候不順というのか、雨の日が多く、気温が驚くほど低い。雑草刈払などの野外作業には適しているのだが、作業を始めると突然に雨が降り出したりするものだから、案配しかねる。曇りでも霧が出ているときは要注意で、すぐにパラパラと雨が降り出して、長時間の作業が難しい。

 

 今日は朝から晴れていたので、今年二回目の雑草刈払をしたのだが、身体が弱っているので一時間やったら力が尽きて、室内にもどり、BS2で種子島のJAXAのロケット打ち上げの記録映画を見て一時間潰し、体力が回復したところで、もう一時間刈払を行った。

 

画像種子島宇宙センター

 

 

 全国の農家の皆さんには笑われるはずだが、都会育ちで原稿書きをやっていた老人は、これほどにも体力がなくなっているのだ。わずか300坪の敷地面積なのにこれでは、どれほど時間がかかるか、見当がつかない。明日も天候が悪く、草刈りはお休みだ。

 

 力尽きたので草刈りは12時で終了し、着ていた作業服はすべて洗濯機に放り込み、温泉に入って汗を流した。洗濯はすぐ済んだので、戸外で乾燥させたのだが、終日好天という天気予報はみごとに外れ、3時過ぎに土砂降りの雨が降って、せっかく半乾きになっていた洗濯物がずぶぬれになった。山の天気は変わりやすいから困る。

 

 

 

 

 

 ところで本題にもどるのだが、「正覚」。

 

 正覚などという単語は現代の日本では使われていない。昔の仏教用語であり、聖徳太子の時代には無上無限の価値を持っていたのだけれど、現代人にとっては「無価値」な単語だ。

 

 正覚に到達したことがあると豪語しても、一般人にとってそれはなんの価値にも値しない。それは無益な価値で、「無価値」なのだ。

 

 正覚を主張する私に、「では正覚はなんの役にたつのか?」と実質的な価値の存在を問われても、「正直、貴方が正覚に到達したとしても、それになんの利益もない」と答える以外に答えようがない。

 

 現代的な価値判断となる金銭的な判断からすると、「正覚に達しても金は儲からない」。

 

私たちの行動の基準となる善悪の基準からすると、正覚は「そこに善悪の基準はなく、無理に基準を求めようとしても、そこは空っぽであるから」判断の基準はない、ということに落ち着く。

 

画像:寒山拾得図 梁楷 MOA美術館 

 

 

では、私自身にとって「正覚」はなんの役にたったのか自問自答してみよう。私は「正覚」に達したとき、カラカラと笑った。「正解に達した」と感じた瞬間、緊張状態の枠が外れて思わず笑ってしまったのだ。後から考えてみると、「無」とか「空」の意味合いが完全に理解できたので笑ったのだ。

 

ここまでは東洋的だ。白隠スタイルだ。

 

西洋ではこのカラカラ笑いを表現しているのは、ジョン・ロックだ。

 

だから非常に読みにくい本だが、『人間知性論』を繰り返し読むことをお勧めする。すると、彼の開発した民主主義の本質、現代の価値観が分かるようになる。

 

急がば回れだ。じっくりと腰を落ち着けて、『人間知性論』を読むことをお勧めする。

 

画像

 

 

間違っても『純粋理性批判』なぞ読まないでくださいよ。『純粋理性批判』は時間の無駄です。あれは繰り返しますが、ナチス理論なのです。

 

 

 

2019/07/12

 

 予報では本日は朝から晴れるはずだったのだが、朝は雨が降った。天候不順で困る。朝の10時ころになってやっと天気が持ち直した。そこで刈払い機を持ち出して草刈りをした。途中で休憩を入れて、合計1時間半続けて、やっと(三日間で)敷地面積の1/3を刈った。ここで一息入れることにして、後は明日の仕事とすることにした。天気が悪くて、野菜類の生育が悪く、今年は野菜の出荷が2週間ほど遅れているらしい。我が家でも20℃に設定してあるセントラル・ヒーティングがまだ稼働している。

 

 

 

 では皆さま、御機嫌よう。