Flixborough4

  さあ、これでニプロ問題は決着か、と考えていたら、不思議なルートで一つの商談が生じた。


 ニプロ社は先に述べた通り、オランダ国営(当時)のDSM社と英国国営の英国石炭庁の合弁会社であったのだが、話は英国石炭庁からやってきた。

画像:Google Map, 2017

 英国石炭庁から当社に呼び出しがあって、(それで私がわざわざ英国まででかけたのだが、)フリクスバラの北海への出口であるハンバー川(Humber)にあるシクロヘキサンのタンクに残っているシクロヘキサン5千トンを引き取れ、という内容であった。


 英国石炭庁がシクロヘキサン・メーカーであるICI社(シクロヘキサンの工場はウイルトンにあった)から仲買商社として引き取り、ストックしていたもののようだが、大爆発を起こしたニプロ社は引き取ってくれず、メーカーであるICIも引き取りを拒否したため、当社にお鉢が回ってきたのである。


 頼まれれば世界中でなんでもやってのけるイズムが商社精神であると心得ていた私は、二つ返事で引き受けた。


 この品物をロッテルダムの化学品トレーダーに売れば処理は簡単にすむのだが、この5千トンがシクロヘキサンの欧州スポット市場を大きく攪乱させ、評判になることは目にみえていたので、石炭庁は石炭庁の名が万が一にでも表に出ないよう、当社を使って日本向けに秘密裏に販売することとしたのだ。


 シクロヘキサンの欧州価格は220$/MT、欧州/日本間のフレート(船賃)は100$/MTであったから、買値は120$/MT FOB Humberとなった。石炭庁は220$/MTで買ったものを120$/MTで売るのだから大損をすることは目に見えているのだが、石炭庁が、本業の石炭とはまったく関係のない、しかも大爆発の原因となった石油化学品を、売り先のないまま地場に保有することには問題が残るので、見切り処分することを決断した。また、日本の某石油化学会社は、事態を勘案し、シクロヘキサンを国際価格であるUS$220/MTで買い付けることを了承した。こうして英国石炭庁と当社のあいだに、シクロヘキサン5千トン、契約価額60万ドルの売買契約が目出度く成立した。

画像:ナイロン繊維

スワップ取引


 この契約が成立すると同時に私は私なりの行動を起こした。私はこの業界のプロでありましたから、次の行動目標ははっきりしていました。


 当時は合成繊維が高度成長期にあり、日本の繊維メーカーT社は大量のカプロラクタムを必要としておりましたが、その需要を日本の化学メーカーは充足させてはおりませんでした。そこでT社は、シクロヘキサンを欧州に輸出して、バイエル社でカプロラクタムに加工し、出来上がったカプロラクタムを日本に持ち帰る、という加工貿易を行っていたのです。


 つまり、同じシクロヘキサンをT社は日本から欧州に輸送し、私は逆に欧州から日本に輸送しようとしていたのです。

画像:一部改変

 この逆方向の荷動きをスワップ取引により帳消しにして、船賃を節約することとしました。


 私は単身でT社に乗り込み、話し合いは僅か2時間で決着しました。次の図で示される荷動きに変更したのです。

 私どもが扱うのは天下のICI品でしたから、どこからも品質上の反論はでませんでした。また、日本品シクロヘキサンは品質が安定していますから、これにも反論はでませんでした。

 

 この結果、私どもが請け負うことになった欧州取引は(上図左上の赤い小さい矢印となり):


 買い:英国石炭庁


 買値:120$/MT FOB Humber


 売り:T社


 売値:220$/MT CIF Rotterdam

 


となりました。ハンバーからロッテルダムへの横持ち運賃$20/MTを差し引いても、利益は$80/MTとなり、5千トンでの利益総額は40万ドル。利益率は36%。当時の円/$換算レート(\300/US$)を準用すると、利益は1.2億円となり、伝票一本で利益が1億円を超える花形取引となりました。見物客は皆びっくりして腰を抜かしたのです。


 また、上の荷動きでHumberからRotterdamへの艀輸送の船荷は当社名義であり、英国石炭庁の名前はどこにも現れませんでした。また、荷受人は天下一の化学会社であるバイエルであり、これも非の打ち所のない会社でありました。会社の名前が表にでないようにせよ、との英国石炭庁の希望は完璧に実現されたのです。


 こうしてスワップ取引はずばりと実現され、成功裏に幕を閉じました。まったく問題が残らなかったのです。


 ところが8か月後に思わぬところから問題が生じました。大蔵省の査察チームが目をつけたのです。