2024/02/07
今回はコート―ルズ美術館を訪問する予定だが、そもそもコート―ルズとはなにかを説明しなければならない。
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典によれば、(コートールズ(こーとーるず)とは? )
かつてのイギリス最大の合成繊維メーカー,化学メーカー。1816年イギリスの商人サミュエル・コートールドが,絹撚糸,絹織物の生産を開始したのが始まりで,1891年サミュエル・コートールズ・アンド・カンパニー設立,1904年ビスコース法の特許購入により人絹(レーヨン)の製造に着手,1913年社名をコートールズに変更,約半世紀の間に一大レーヨン王国を築いた。この間アメリカ合衆国に人絹工場ビスコース・カンパニーを設立したのをはじめ,ヨーロッパ各国にも系列会社を設立して市場を拡大した。第2次世界大戦後は合成繊維の分野に進出,国内市場ではステープルファイバー(スフ),人絹,アセテート繊維,ナイロン繊維,アクリル繊維の分野で,一時は 80~95%の市場占有率を誇った。1990年に伝統の織物事業を分離,ポリマー,表面技術中心に移行。以後は建築資材から玩具までを扱う合成樹脂部門,包装材,パルプ,塗料,化学品などの分野にも進出,また繊維機械の製造から工場建設などのエンジニアリング部門を設立した。グループの製造工場は 41ヵ国にも及んだ。1998年オランダの化学会社アクゾノーベルに買収された。
平たく言えば明治末から第二次世界大戦の時期にかけて、コートールズは人絹(レーヨン - Wikipedia)の生産で世界を席捲した。世の中に合成繊維が出現する前は、パルプから作られる人造絹糸(略称:人絹)が世界を風靡した。簡単な言葉を使えば、「世界初の人絹・合成繊維製造業者」だった。上の記述で読み取れるように、世界でのシェアが80-95%という驚異的市場占有率を誇ったのである。
こうして大金持ちになったサムエル・コートールズは金に任せて美術品を買い集めた。その結果がコートールド・ギャラリー - Wikipediaなのである。
コート―ルド美術館 Official Website of The Courtauld Institute of Art
地下鉄の駅でいうと、Temple駅がもっとも近いのですね。
こういう次第なので、コートールズ美術館には近代の作品が存在しません。
それに私は自分で歩き回り、自分の目にとまった作品を撮りましたので、順序がバラバラです。作品には美術館による説明(英語)を付けてあります。
わたしのような年代の人間は、大学時代までに、つまり60年前までに習得した美術の歴史を辿るような具合になるのです。じじい好みの美術館、というか。なんというか。
ベルナルド・ダッディ(Bernardo Daddi, 1280年頃 - 1348年)はルネサンス初期のイタリアの画家。ジョットの弟子。ロレンツェッティ(兄弟)らシエナ派からも影響を受けている。
三枚続きの絵画:聖人たちによって崇められる聖処女と子供
日本の時代感覚として鎌倉時代ですね。この頃にイタリアでイタリアルネサンスが始まったのです。
私たちが美術史を学ぶときに最初にでてくるのが、ジョット・ディ・ボンドーネ、略称ジョット。ダッディはジョットの弟子ですから、西洋美術史に最初に出てくる名前です。
Argenteuilの場所 流れる川はセーヌ川。
私は会社を早期定年退職したあとすぐさま、58歳の冬、フランスのエクサンプロバンスという場所にあるプロバンス大学付属の語学校に入学して、半年の間フランス語を学びました。ですからサント・ヴィクトワールにも登りました。今から思えば、「夢の中に暮らして」いたような美しい思い出を作ってくれました。サント・ヴィクトワールは、上の絵の裏側、すなわち北斜面を登るのです。南側は絶壁ですから。