2023_11_21 松山・呉 周遊  松山1

2023/11/21

 

 朝7時、ホテルを出て道後温泉に向かう。この写真は三越デパート前から東方向を望んでもの。手前に見えている停留所は大街道(おおかいどう)。

 

 

 面白いねえ。電車の運転手が停留所で運転席を離れて、切符の回収に出てくるのだ。だから、乗客は常に前降りが原則だ。車掌が居ないんだから、運転手が全部ひとりで仕切るのだ。

 

 

 電車は終点の道後温泉駅に到着した。

 

 

 道後温泉駅前の風景。

 

 

 駅前に飾られている「坊ちゃん列車」。なんともレトロ。この列車が一日三回、街中を走るのだ。さすがに石炭は使っていない。石油で湯を沸かしている。

 

 

 道後温泉駅。これもレトロだね。

 

 

 さすが伊予鉄だけあって、撮影場所を心得られておられる。背後に松山城を取り込んで、これが最高の坊ちゃん列車の宣伝画像だ。

 

 

 道後温泉駅前にある時計台。右に温泉釜。

 

 

DSCN4180 2023/11/21 道後温泉 手湯の使い方の動画:https://youtu.be/by7ZbdISkuc

 

 

 今や私たちには馴染の薄くなった正岡子規ですが、奥まったところに子規像があります。漱石が松山中学で教鞭を摂っていた頃、松山で東京大學出身の人は正岡子規しかいなかったのでしょう。だから二人は仲良くしていたのです。

 

 

 時計台の横から道後商店街が始まります。早朝ですから、閑散としています。この商店街を2ブロック歩くと、

 

 

 椿の湯に至ります。道後温泉本館が観光客ですし詰めとなったので、松山市が市民のために建てた温泉風呂屋です。こちらのほうが人が少ないからゆったりと温泉気分を味わえます。

 

 

 入浴客が少ないから、漱石時代の温泉気分を味わえます。惜しいことに深さがもっとあったらなあ。

 

 

 温泉釜には子規の言葉が彫られています。

 

 

 聖徳太子が道後温泉にお越しになられたのは、西暦596年。御年22歳。憲法17条を制定されるに先立つこと8年前であった。聖徳太子 (city.tsuru.yamanashi.jp)を参照せよ。

 

 

 椿の湯の裏手に飛鳥の湯というもう一軒の湯屋があります。聖徳太子の飛鳥時代から名前を取ったのでしょう。

 

 

 湯屋を出たあと、私は商店街を歩き、修理中の道後温泉本館に出た。

 

 

 皇族用の入り口に感嘆し、

 

 

 道後温泉駅前に戻ってきました。

 

 

プラットホームで漫然と電車を待ちます。この気だるい雰囲気が好きです。皆が皆隙だらけです。ぼんやり、漫然、隙だらけ、こういう光景は田舎にしか見られない風景です。漱石もきっとこのような隙だらけの松山を愛したのでしょう。こういう雰囲気を求めて私は松山に来たのです。松山に来た甲斐がありました。

 

 

では皆さま御機嫌よう。