宮崎旅行7 延岡3

2019/01/28

 

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画像WuppertalHeckinghausenにあったJ.P.Bemberg工場内部  1928年。

 

 

 Bemberg式人絹にはしかしまだ一つ弱点があった。上の写真で見るように人絹は綛(かせ)で巻き取られている。いまでも旭化成ベンベルグ工場のなかに残されているハンク式紡績機。それをご覧になればお分かりいただけるだろうが、昔は紡糸した繊維を綛(かせ:英語でhank)で巻き取っていた。これが非能率で人手を必要としていた。

 

 この隘路を解決したのが、Bembergアメリカ工場のDr. Hugo Hoffmanである。

 

画像テネシー州エリザベストンに1926年に開所されたアメリカのベンベルグ工場

 

画像Elizabethtonというのはテネシー州の東端でアパラチア山脈の中。水資源が豊富。

 

画像:彼が発明した連続紡糸機の中に立つ発明者ユーゴ・ホフマン博士

(Dr. Hugo Hoffman)

 

 

 

 

 彼が何時この発明をしたのかはわからない。アメリカ・ベンベルグ社は第二次大戦中敵対国資本であるとしてアメリカ政府に接収されましたから、この間の情報が消えてしまっているのです。

 

旭化成がアメリカンベンベルグ社の後継社から連続紡糸と精錬の特許権を取得したのが、1954年でありますから、Dr. Yugo Hoffmanによる発明は第二次大戦中あるいはその少し前であった可能性が強い。

 

が、彼の発明により、旭化成のベンベルグ絹糸はなんと一巻き35kmのボビンとなった。近代的繊維産業の操業にふさわしいものとなった。

 

画像:ベンベルグの長繊維・短繊維 

 

 

 この長繊維一本一本が55本の超微細ベンベルグ繊維から成り立っており、その超微細ベンベルグはセルローズ数百個がつながった固形部分とそれらを繋ぐ不安定な(水素結合による)不定形部分に分かれているところが不気味です。引っ張るともやもやとした髭を沢山出して切れます。これこそベンベルグが天然繊維であることの証左なのです。セルロースでありながら、人絹なのです。

 

この連続紡糸機が延岡工場にはなんと110台も設置されていて、それらが一斉に静かに稼働しているのは、なにかこう厳粛なミサ曲を無音で聞いているような感覚がありますね。繊維会社という感覚ではなくてICの製造工場という感じかな。一度ご覧になってください。これは芸術劇場だという感じがします。

 

 

 

 まだある。他の世界的レーヨン製造会社が製造コスト上の問題でレーヨン事業から撤退し、もともとのドイツ・ベンベルグ社も排水処理ができずに銅アンモニアレーヨン(キュプロ)事業から撤退するなか、旭化成は銅の回収並びにアンモニアの回収にも成功し、環境問題も全面的に解決し、生産量を増加させている。しかも製品は絹の光沢、絹の肌触りで日本人の好みにあっている。

 

画像銅アンモニアレーヨン

 

 

 このように旭化成の企業努力と企業成績は抜群である。

 

  

 錯体を利用した魔法の杖のような化学反応

 産業廃棄物を主原料とする資源の有効利用

 現在の繊維産業の実態に即した連続紡糸機の採用

 完璧な環境保全

 しかも製品は準天然繊維(再生天然繊維)であり合成繊維ではない

 

 

を行っているのは世界に旭化成ただ一社である。これは創業者野口遵の信念に支えられた美学ですね。

 

画像:文化勲章 

 

 

 こういう会社の長期に亘る企業努力を正しく評価するならば、文化庁は躊躇なく、この法人にたいして文化勲章を授与すべきだ、と考える。エロ文学作家に対して、名前が社会的に知られているだけの理由で文化勲章をくれてやるより、まじめで優秀な企業人を一括で表彰するほうが社会的にどれだけ有効であろうか、と思いました。

 

 

 

 そう考えながら、特急列車で別府に帰ってきました。日豊本線は単線のようで、特急列車といえど、すれ違いのための停車が多く、特急列車の便利さはあまり感じられませんでした。

   けれど、Bembergの面白さで別府に着くまで興奮していました。

 

 

 

 永野美紀さん、有難うございました。延岡工場の見学はまことに有益でありました。

 

皆様にも是非一度工場見学をされるよう、お勧めいたします。

 

 

 

 

 

 では皆さま、ご機嫌よう。