九州旅行2 知覧・仙厳園

 

2018/11/05

 

 

 朝、鹿児島中央駅東口のバスターミナルから知覧行の特急バスに¥950支払って乗った。驚いたことに東京で使っていたSUICAがこの国の南端でも使えるのであった。

 

 画像:知覧平面図。

 

 

下が薩摩藩が出城として使っていた麓集落の知覧である。

特徴は:

 

1.      石垣と刈り込んだ植え込み。

 

 

2. 門からは見通せない内部。

 

画像:佐多直忠氏宅

 

 

3.  枯山水形式の庭。

 

 

 

 4.  家屋の形状(曲がり屋)  高城家を例にとって説明すると、

 

 

 男玄関

 

 

 女玄関

 

 

 居間と台所

 

 

 5.  背後に続く茶畑

 

 

シラス台地だから、米の耕作に適さない不毛の土地だ。海には接していないが、琉球貿易で金儲けをやっていたらしい。

 

 

 

元に戻って、地形図の右上が、陸軍が特攻隊基地として使っていた陸軍知覧基地。現在は特攻平和会館と観音堂が建っている。

 

 写真:海中から回収された零戦。

 

 

 特攻平和会館の右後ろに再建されている三角兵舎の内部。

 

画像:三角兵舎

画像

 

web中の説明文書:

 

 

三角兵舎

 

特攻隊員は、飛行機の整備の関係で3泊、4泊三角兵舎で泊る事を余儀なくされました。

 

三角兵舎とは、特攻隊員が最後の眠りにつくところです。地面に三角の屋根を被せたようなつくりになっています。中に入ると地面から3段から4段下に下がった所で隊員が眠りにつきました。

 

隊員は、三角兵舎に1泊か2泊しかしませんでした。家族に特攻隊になった事を連絡するものの、それを聞いた家族が知覧に向い着いたころには、すでに出撃された後で、殆どの隊員が家族に会えずに散華されました。

 

当時の飛行場は舗装がしてなかったので、爆弾を積んだ飛行機は飛び立つことが難しく、中には爆弾の重みで谷間から出ている樹木に引っかかり殉職した隊員もいました。隊員達は下で見送る整備士や町民に対して、飛行機の右翼を振りバンクしながら「さよなら」と合図し開聞岳(沖縄)の方向へ飛んでいきました。

 

 

 

 

 帰りのバスでは、カリフォルニアからやってきたという10人ほどの米国人の年寄り団体と一緒でしたが、全員まったく面白くなさそうな表情をしていました。アメリカ人の愉快で朗らかな気分に水をかけられたような気持になったのでしょう。そもそもここはアメリカ人がやってくる場所ではないのです。ツアー・コンダクターが間違った選択をしてしまったようです。

 

 

 

 

 鹿児島天文館へもどり、そこからタクシーで島津家別邸「仙厳園へ行きました。菊祭りの最中でした。

 

 

 私はまず、レストラン松風軒で昼食を頂きました。景色は美しいし、建物も立派で、すっかりご機嫌になり、豚しゃぶ定食を美味しくいただきました。

 

 

 

 

 では皆さま、御機嫌よう。