2024_04_02 興福寺

2024/04/02

 3時半、バスは大宮通の奈良公園バスターミナルに到着し、私たちはバスから解放されました。

 

 

 私は朝から金峯山寺と長谷寺と二か所をまわり、もう疲れ切っていましたが、興福寺は私がいままで訪ねたことのなかったお寺です。特に評判の高い宝物館を訪ねるためにいそいそと出かけました。

 

興福寺(こうふくじ)は、奈良県奈良市登大路町(のぼりおおじちょう)にある法相宗大本山寺院山号はなし。本尊は中金堂の釈迦如来南都七大寺の一つ。藤原氏の祖・藤原鎌足とその子息・藤原不比等ゆかりの寺院で藤原氏の氏寺であり、古代から中世にかけて強大な勢力を誇った。「古都奈良の文化財」の一部として世界遺産に登録されている。

    (引用:興福寺 - Wikipedia

 

 

創建[編集]

藤原鎌足夫人の鏡王女が夫の病気平癒を願い、鎌足発願の釈迦三尊像を本尊として、天智天皇8年(669)に山背国山階(現・京都府京都市山科区)で創建した山階寺(やましなでら)が当寺の起源である。壬申の乱のあった天武天皇元年(672)、山階寺は藤原京に移り、地名の高市郡厩坂をとって厩坂寺(うまやさかでら)と称した。

和銅3年(710)の平城京への遷都に際し、鎌足の子不比等は厩坂寺を平城京左京の現在地に移転し「興福寺」と名付けた[ 1]。この710年が実質的な興福寺の創建年といえる。中金堂の建築は平城遷都後まもなく開始されたものと見られる。

 

(引用:興福寺 - Wikipedia

 

画像:map.pdf

写真:国宝館から興福寺五重塔と東金堂を望む

 

 結果はどうだって?

 

 金峯山寺では、私のB哲学論を以て辻褄の合う世界を構築しました。そして、私は金剛蔵王大権現とお会いすることができて、今回の旅行目的を達成することができて喜びました。

 

 長谷寺では、平安時代の清少納言と紫式部の優美な長谷寺詣でを偲び、彼女たちの足跡を辿りました。桜も白こぶしも素敵な美しさで私たちを迎えてくれました。

 

 これで充分と思っていたのに、興福寺国宝館に入場するなり、私はアッパーカットを受けた気持ちになりました。そこには奈良時代の初めに造られた完璧な国宝の塑像が何十体もならんでいたのです。

 

 

 これらの塑像群には言葉に出せない気品があります。気位の高さというか。これらを造り上げた芸術家の気迫が1314年を経た現在でも乾漆像一体一体から滲み出ています。

 

画像:阿修羅 (天平の祈り 八部衆と十大弟子 株式会社飛鳥園 令和5111日)

画像:沙羯羅 (天平の祈り 八部衆と十大弟子 株式会社飛鳥園 令和5111日)

 一体この鎧はどこから来たものなのでしょうか? 唐時代の軍隊の服装なのでしょうか。唐の時代の兵士はこんなに優美なファッションで身を包んでいたのでしょうか? それとも近衛兵なのでしょうか? 甲冑の一枚一枚に幾何学模様が描かれています。それにこの像に限っていえば、長尺の蛇が兜を巻き、胸元にぶら下がっているではありませんか。それに顔。素晴らしく現代的なお顔で、眉、目、鼻また口元まで美しさそのものです。顔の色は黒いのもあり、赤い肌色のもあり、近くへ寄ってみても、とても美しい。

 

 わたしは本当に魂消ました。これはいかんと思い、一通りざっと見物したうえで、早々に国宝館を辞去しました。

 刺激が強すぎて「やってられんな」という思いで、刺激に打ちのめされた気持ちでした。

 

 この刺激を消化するために、この国宝館はこれから何回か訪問します。訪問しなければ私の心のなかに入ってきてくれません。

 

 

 幸いに私は別府に住んでいるから、別府から船で大阪南港経由奈良まで簡単に来られます。そうですね。あと3回ほど拝観に来ます。

 

 

 国宝館を出ると、鹿です。昔の奈良はこんなに沢山の観光客が鹿見物に来ることはありませんでした。このような光景を目にすると、人間が鹿を見物するのではなく、まるで、鹿が人間を見物しているようにさえ見えます。

 

 

 

 私は次に、奈良国立博物館(旧館)に入りました。聞くと新館は展示替えのために休館しているのだそうです。見物できるのは旧館のみでした。受付のお嬢さんが年齢を聞きますので、お答えしたら、「65歳以上は無料です」だと。ラッキー。

 

 

 ここにも色々展示してありましたが、もう紹介する気力もありません。皆さまにお見せできるのは、次の二体だけです。

 

写真:重要文化財 金剛力士立像(阿形)(奈良・金峯山寺)

 

 

写真:重要文化財 金剛力士立像(吽形)(奈良・金峯山寺)

 

 

 ざっと前を通っただけなのですが、金峯山寺山門が修理中で、山門の仁王像が二体、修理済みの巨像が博物館メイン・ホールに飾ってありました。

 

 

 これだけ拝観して今日は終了です。いやはや今日は忙しい一日でした。阪急交通社はよく練り上げたスケジュールを考えてくれました。

 

私たちは県庁横のバス・ターミナルに戻り、観光バスに乗って神戸港にもどり、サンフラワーに一晩乗って別府へ戻りました。

 

 興福寺には必ず再度訪問する予定です。南港サンフラワー・ターミナルから近鉄奈良駅まで僅か¥1,2001時間20分で来れるのです。法隆寺までなら¥7701時間12分です。往復サンフラワー夜行便で、間に奈良で一泊すれば、あまり疲れもなく遊行が出来るでしょう。

 

 

 では皆さま、ご機嫌よう。