2024_01_23 金沢への往還1

2024/01/23

 

 典型的な西高東低型の気圧配置で、北陸三県は大雪の天気予報だったが、実際には、2122日は曇りで、23日は朝から弱い雪がチラホラ降っただけだった。道はぬかるんでもおらず歩きやすく、ラッキーだった。

 

 

小倉駅で新幹線に乗る。京都まで。京都から金沢までサンダーバード(雷鳥)に乗る。新幹線が敦賀まで延伸されていて、この3月からは、サンダーバードに乗れるのは京都―敦賀間限定となる。敦賀で新幹線に乗換なければならない。面倒くさいこと限りない。

 

 

 リュックサックを背負ったまま、北陸病院に駆けつけ、妹を見舞ってから、疲れ切って昼食に入ったのが、金沢駅の百番街の中の加賀屋さん。素晴らしく美しいお刺身でしょう。味も抜群でした。

 

 

 金沢駅近辺のホテルは混雑していて予約がとれない。聞けば、救援団体が数多く金沢駅周辺のホテルに大量に宿泊しているらしい。このマンテンホテル金沢駅前も入れたはずの予約がみつからない、と仰って、新しく予約を入れてくれるのに、15分ほどかかった。

 

 

 ズワイ蟹。例年に比べて蟹がとても少ない。聞くと、能登地震で海底地形が変わり、港自体も壊れてしまい、能登蟹がとれなくなったのが原因なのだそうです。金沢港でも蟹はとれるのだが量は少なく、輪島蟹の割合が昔から大きかったのだそうです。

 

 

 輪島港は地震で海底が4mせり上がったのでしたねえ。

 

動画:近江町市場風景 https://youtu.be/Q0wpE-HGFPs

 

 近江町市場を抜けたところにある旅館すみよしやすみよしや旅館

 

 こういうところに泊まるのもよしですね。金沢城にも近いし。この次からここにしましょう。

 

 

 十間町を抜け、黒門跡を通り、金沢城に入る。

 

 

動画:金沢城内部 https://youtu.be/2TN8CPRw4XY 第六旅団司令部跡

 

 

 驚きました。二の丸まで上がってきますと、五十間長屋の西側の空き地が囲われて、新しい建物の土台らしきものが造られているではありませんか。

 

 

 どうやら二の丸御殿の表向という名前の座敷面会所を造っているようですね。出来上がりが楽しみです。

 

 

 金沢城跡の西部に造られた玉泉院丸庭園(赤線で囲んだ部分)が立ち入り禁止になっていました。鼠多門の近くの石垣が崩れたことが原因のようです。

 

 

上の地図で左下に見える三十間長屋は天井屋根の鉛瓦が積年の疲労で穴が開いたので、屋根瓦の取り換え工事中でした。ここも立ち入り禁止になっていました。

 

 

 クレーンが屋根瓦を釣り上げています。

 

動画:https://youtu.be/-4pW-tay80g 橋爪門の中から五十間長屋を見上げる。

 

 これは兼六園に続く石川門です。

 

 

石川門前の石川橋。私は75年前にこの通りを通って、広坂通にあった付属小学校に通った。懐かしさが押し寄せる。右側の通りが昔百閒堀と呼ばれていたお堀跡です。私たちが小学校の頃にはこの通りに電車が走っていました。悪ガキは石川橋の上から走ってくる電車の屋根を目掛けて、石を落っことしました。うまく屋根にあたると、ボーンという大きな音がしたものです。悪ガキはこの音に小躍りしたのです。

 

 

 そういえば、私たちは電車の走っていたこの通りを「百閒堀」と呼んでいました。

 

 

 この地図の一部を引き延ばすと、

 

 

 私たちが今写真を撮っている場所が、現在地と書かれています。すなわち石川橋から広坂までは、前田のお殿様の時代は百閒堀という巨大なお堀だったのですね。金沢城中総絵図の下方(北方)に城の正門である大手門があったのです。見事に水堀で囲まれた堅牢な城だったことがわかります。

 

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