乗鞍岳・木曽駒ヶ岳 1

2023/07/29

撮影:2009/09/24  千畳敷の秋色senjoujiki (lcv.ne.jp)

 

ずっと前のことなのだが、クラブツーリズムに次のツアーの申し込みをしておいた。

 

クラブツーリズムは、なにかの事故が頻発していたからなのだろう。登山中級以上の旅は75歳以上の参加者を受付ないのである。つまり、私は83歳だから、登山初級の旅だけは参加申し込みができるのだ。

 

選んだ旅は次だった。

 

コース番号N4003-990

出発日:20230729(1泊2日)

JR中央本線・松本駅(1000集合)

取消料発生日 20230715

ホテルルートイン駒ヶ根/洋室(シングルまたはツイン)

 

 この旅は一日目の乗鞍岳は標高差300mで、二日目の標高差は320mで、これなら83歳の小生でも登れると確信したのだった。

 

 

 二日目の木曽駒は20099月に登山した経験があるのでsenjoujiki (lcv.ne.jp)、あれから14年もたっているけれど、まず問題なく登れるだろうと見当をつけた。

 

 

 いよいよ729日がやってきた。

 

 本日の集合場所は松本駅に朝の10時なので、家を750分に出てバイクで山を降り、8時半に茅野駅のバイク駐車場に到着した。

 

 どういうわけか最近夜良く眠れないので、たった4時間しか寝ていなかった。でも、久しぶりの外出で気分はウキウキしていた。

 

 茅野駅からは849分発の普通電車松本駅行に乗った。9時頃に出発の特急あずさに乗る手もあったのだが、到着時間に差がほとんどないので、普通電車にした。

 

 松本駅で10時少し前に東京組と合流して、駅前でバスに乗り込んだ。

 

 

 これから乗鞍に向かう訳だが、昔、私が金沢で働いていた頃に、この道は良く車で通った懐かしの道である。

 

 

 松本市役所波田支所。日本アルプスサラダ街道というのは、この地点から南に下がって、波田から塩尻に抜ける街道である。

 

 

 松本市からの野麦街道に乗って現在走っているのだが、上の地図で見る通り、この野麦街道に沿って、松本電鉄が走っている。乗ってみれば分かるが、とてもノスタルジックな電鉄で、終点は新島々である。

 

 

 新島々までは平地の感覚であるが、バスは新島々からは山岳地帯に入っていく。

 

 

 三本松トンネル - Wikipediaという記事を読むと、私がこの箇所を通っていた時期がわかる。三本松トンネルが掘削される前はこの箇所は梓川に添う崖際の細道だった。この崖が崩壊したのは1991年であるから、私が51歳の時のことだ。松本から岐阜県に抜ける幹線道路がまったく通行不能になった。上高地や乗鞍岳に通ずるたった一本の道であったから、大騒ぎになり、応急処置として梓川の中を通る巨大な鉄骨の橋(点線)が建設された。

 

 

 三本松トンネルが建設開始されたのは、1992年であり、1994年にこのトンネルが完成した。

 

 だから私がこの箇所を通ったのは1991年のことであり、51歳の時だったことが分かる。私の蓼科の別荘から私の故郷金沢へ向かうにはどうしてもこの道を通らなければならなかったのだ。

 

 

 

 

 私はまだ東京の会社に在籍していたけれども、もうこの頃には私は会社の仕事をそっちのけにして、哲学論文を執筆し始めていた。私が最初の本純粋経験B : 西田哲学に対する疑問を東京日本橋の丸善に造らせたのは1994年だ。その頃は、まさか私の哲学が完璧な形で完成する(私が79歳のときに「正覚のとき」として完成した。)とは夢にも思わなかった。つまり、私は51歳のときから79歳になるまで28年間哲学に没頭していたのだ。

 

 その間、私は哲学概念を心のなかでひねくり回し、概念の確定のために悪戦苦闘しながら旅をしていた。だから、今になって、是非ともこの道野麦街道を通ってみたかったのだ。悪戦苦闘の旅の足跡を辿りたかった。

 

 

 

 なぜよりによって哲学の道に進んだのか? 詳しいことは坐禅4 - dousan-kawahara ページ! (jimdofree.com)に書いてあるけれど、私は20歳のときに悪戦苦闘の末、生死の狭間を逃れることが出来た。それは京都大学の哲学科が教える「善」とはかけ離れた境地であった。私はこうして、20歳の時点で最終目標をたてていたのだけれども、その哲学は私の食い扶持を保証してくれるものではなかった。私はひとまず稼がなければならなかった。51歳の時に会社の中での「稼ぎ」は一応の稔を見せていた。だから、ここらが潮時と考えて、私は私の心の表現に取り掛かったのだ。

 

 

 200411月、今から19年前、石川県の那谷寺で撮った写真だが、この時も三本松トンネルを通ったはずだ。娘が美人だから、鼻を高くして石川県を一緒に見物して回ったのだ。

 

 

 バスは奈川渡ダムにやってきた。バスは東京電力奈川渡ダム - Wikipediaの堰堤の上を走り、すぐトンネルに入る。この奈川渡ダムに満々と水が湛えられているが、下流は目も眩むような高さで、目が回る。よく人に知られた事実だが、このダムと下流の二つのダムは深夜の余剰電力を利用して水をくみ上げ、貯えた水による昼間のピーク需要に即応できる設備であるから揚水発電所と呼ばれている。

 

 この奈川渡ダムから奈川に沿って、左方向に進めば、野麦峠 - Wikipediaを通って岐阜県に入る。

 

 

 バスは野麦峠には向かわずに、堰堤の上を通ってすぐトンネルに入る。三つ目のトンネルを通り、トンネルを出たところで、(前川渡というらしいが)、左に折れ、乗鞍に向かう。ここで曲がらずに真っすぐ進めば上高地に行ける。

 

 

 ここらあたり、15年ほど昔、私は自分の車を運転し、何度も通った。当時私は石川県能美市の 東振精機という中小企業に勤めていて、同社の海外取引担当として働いていた。つまり海外の取引先との通信業務を行っていた。また、同社の職員に貿易実務を身につけさせるため、貿易実務講座というコースを作って、夜間の訓練コースを実施していた。この会社の職員は非常に優秀で、一年半でなんと受講者五人全員が国家試験に合格した。田舎の中小企業でもしかるべき教師をつければ、能力は急速に拡大するものだと実感した。

 

 もちろんその当時は、前川渡で折れて乗鞍に向かうのではなく、前川渡を真っすぐに通り抜け、安房峠から岐阜県に抜け、高山市から高速道路で金沢市に出ていたのだ。