2024/02/09
引き続きコート―ルズ美術館
ベル・エポックの時代のフランス。Jas de BouffanというのはAix-en-Provenceの西2kmの場所。セザンヌという人はエクスで生まれ、一時はパリに出たが、エクスに戻り、エクスで製作を続けた。エクスの北方2kmのところに彼のアトリエが残されている。
ピーテル・パウル・ルーベンス - Wikipediaはアントワープ出身の画家。イタリアで修行をして、その後欧州各地の王室に出入りした。彼の活動の頂点にあたる1620-1650はちょうどドイツの宗教戦争の最中だったのですが、ルーベンスは新教には取り合わず、敬虔なカトリック教徒として過ごしました。
上の絵は同じく画家であったヤン・ブリューゲル (父) - Wikipediaの家族です。
ヴィッテンベルクに工房を構え、当地の領主ザクセン選帝侯フリードリヒ3世に御用絵師として仕えた[1]。主に宗教画で多数の作品を残したほか、同時代人の宗教改革者マルティン・ルターの友人であったため、彼とその家族の肖像画を多く残している[2]。
そうか
ヴィッテンベルクで宗教改革の火ぶたを切ったマルティン・ルターは 11歳の年下ながら親友で、ルターの結婚の媒酌人も、 彼の長男の洗礼式の立会人も務めています。
またこの関係を利用して飛ぶように売れたルター訳の新約聖書は勿論、 彼の著作一切を自分の印刷会社で出版。印刷物は自分の経営する本屋で売り、 印刷用紙の売買もして何重にも儲けたのです。
ルーカス・クラナッハが新教の布教の旗振り役を勤めたのですね。今まで知りませんでした。