九州旅行1  鹿屋

 

2018/11/04

 

 

 今回の九州旅行は「終戦の日1で述べたように、私の姪からの質問で触発されたものであった。

 

写真:銀座7丁目維新號本店

 

 

 そこでまず維新號に私の姪の関係者を招いて、久しぶりに維新號の中華料理を味わった。

 

写真:まずは、海老と銀杏の炒め物。素晴らしく美味しくて、気がついたら残り一匹になっていた。写真は福の残った残り一匹のお皿。

 

 

 60年前、私の甥はこの店で修業したのである。だーれも料理を教えてくれなかったので、先輩料理人の手つきを見様見真似で覚えたのだという。それにしても美味しい中華料理だねえ。腰がぬける。

 

写真:フカヒレの姿煮

 

 

 114日、SkymarkというLCCに乗って朝7:45羽田を出発して約1時間半、鹿児島空港に到着。

 

 写真:錦江湾を南に見る鹿児島空港。この空港は元々鹿児島市鴨池にあったのだが、丘の上の不便な場所に引っ越した。

 

 

 空港から鹿屋行の特急バスに乗ったが、高速道路はなく、曲がりくねった田舎道を行く。鹿屋からはタクシーですぐの距離のところに海上自衛隊鹿屋基地があり、その門前に史料館がある。

 

 

 残念なことだが、史料館は空調設備工事中で、史料館の二階の特攻隊資料部分は閉鎖されていた。

 

写真:ゼロ戦の機体

 

写真:銀河。ゼロ戦に比べると巨大。

 

写真:「銀河」が胴体下に抱えていた魚雷。一個が420kgsだから合計840kgsの爆薬を抱えていたことになる。愛すべき兄上がこのような魚雷にまたがって死んでいったなんて考えたくない。おぞましい。

 

写真:史料館近くの小塚公園内に特攻隊員の慰霊碑がある。

 慰霊碑の銘板の一部を拡大表示すると、

 

 再度、史料館に戻り、史料館前のバス停から垂水へと向かい、鴨池-垂水フェリーに乗って鹿児島市へ向かった。天気は快晴で、桜島が驚くほどはっきり見えた。

 

 

 鹿児島では中央駅西口のアパホテルに泊まった。気温が25℃まであがり、真夏日になったので、部屋で冷房を入れたら、室温は上がるばかり。ホテルのレセプションに聞いたら、「当ホテルは本日から冬仕様に切り替えた」ので、「暖房しかききません」、暑かったら「クーラーを切り、窓を開けてください。今日は桜島が灰を噴き上げていませんので、降灰については心配要りません」と。開いた口が塞がりませんでした。(この後10日後、1114日、桜島は爆発的噴火を起こし、噴煙が4千メートルまで上がったというのですから、桜島はさすがに無視できない暴れ馬ですね。)

 

 

 

 ただ、いろいろあるけど、このホテルの朝食は非常に美味しかった。

 

  

 

 では皆さま、ご機嫌よう。