耶馬渓・国東半島を巡る旅4

 

2018/11/25

 

 画像:地理院地図

 

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大威徳明王像。日本人にとってあまり馴染みのない仏像ですね。阿弥陀如来、文殊菩薩の密教風表現なのですが、平安時代に造られたものの、その後廃れてしまいました。

 

画像:同上

 

阿弥陀如来坐像

 

   裏庭に石塔群がある。

 

 これらの石塔群は,この地方に放置されていたものをこの寺にまとめて展示してある、とのこと。とても風情があって好ましい。心が洗われる気持ちになった。

 

 

 その昔、鬼が一晩で99段の石を積み上げたところで、夜明けを告げる鶏の鳴き声聞かされ、百段の建設を断念したという石段。勾配がきつく、自然石を積み上げているので、登るのに往生しました。下の駐車場244m、摩崖仏の地点は標高380mですから、標高差はわずかに136mなのですが、過去に心房細動の病歴を持つ私には、「死ぬほど辛い」登りでした。

 

 向かって右が大日如来。左が不動明王。共に密教の仏様。大日如来とは不動明王の化身であり、宇宙の中心、なのだそうだ。

 

階段を登り切ったところの熊野神社で鑑賞した紅葉。

 

そういえば、石段を下り切ったところで、ほら貝をボーボーと吹き鳴らす山岳修験者の一団とすれ違いましたよ。彼らは不動明王を目指して行くのですね。

 

 

財前家墓地

 

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本文の説明:

 

財前家墓地 中央の大型の石塔(国東塔)が重要文化財の「財前家宝塔」

 

 実を云うと、バス内から見上げる格好なので、実物は鑑賞できませんでした。

 

 

 

ちなみに真木大堂の裏手の庭にある国東塔とその説明は:

 

両子寺(ふたごじ)

 

 画像:地理院地図より 両子寺の標高351m

 

画像 山門に続く石段の両脇には、江戸後期の作とされる国東半島最大級(総高245cm、像高230cm)の石造の金剛力士(仁王)像が立っている。

 

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 両子寺の護摩堂。紅葉が最盛期なれば随分綺麗だったろう。

 

 

 正式名を六郷満山両子寺というこのお寺は天台宗(https://ja.wikipedia.org/wiki/天台宗)です。天台宗は最澄が延暦24年(西暦805年)中国から持ち帰った仏教の一派で、基本経典は法華経。総本山は比叡山延暦寺で関山中尊寺、日光山輪王寺、東叡山寛永寺、長野の善光寺が大本山です。この両子寺も別格本山になっているので由緒正しきお寺です。今は亡くなっていますが宇佐神宮の神宮寺であった弥勒寺も建立当時は法相宗だったのですが、平安時代に天台宗に変更されたようです。

 

 このあたりの寺院は歴史が圧倒的に古いですね。感心しました。

 

 

 

 

 

以上にて国東半島巡の巡り観光バス巡回は終了。東京へ帰る人たちを大分空港までおくってから、別府へ帰りました。昨日の県立歴史博物館と合わせて、日本の歴史をたどるような旅で、非常に楽しかった。熊野摩崖仏の参拝で私に残っていた体力は使いつくしましたが。