京都・サンフラワー号(2)

2021/11/25

写真:2021/11/26 六甲アイランド港付近。早朝着岸寸前。

 

 ところがところが、である。乗船口で乗船を待っていたときに、突然私のスマホが鳴りだした。私のスマホはHUAWEIなのだが、部分的に故障していて、ライン接続していないときには、「インターネットに接続されていません」という告知があって、地図もGPSLINEも、もちろんインターネットも使えなくなるのである。なぜなのか私にはわからない。だから、自分の部屋でWiFi接続しているとき、またはホテルなどでWiFi接続しているときは使えるが、オープン・スペースではこのスマホは使えないのだ。老人だから電話がかかってくることはないから、どうってことはなく、不都合はないので放っておいているのだが、この不都合スマホがどういうわけか、突然鳴り出した。

 

 「もしもし」と妻の声だ。

 

 通常でも滅多に話することのない妻なので、なにごとやならん、と話してみたら、

 

1.     彼女は病気で今日から入院する。

2.     病名はリンパ腫です。(リンパ腫とは血液の癌なのだそうだ。)

3.     入院する病院は慶應義塾大学病院。

4.     癌だから、どうなるかわからない。死ぬ公算大なのだそうで、

5.     私には、「後ろ向きに生きず、絶えず前向きに生きて」ほしいと。

 

というものだった。私にはリンパ腫というものがなにか分からず、しかも直ちに入院という即時性に驚かされた。どうやら彼女は「死」を覚悟している様子が窺えた。

 

 

 が、今から船に乗って神戸へ向かうときに、これはないだろうと考え、一瞬頭のなかが白くなって、今生じている事態がよくのみこめなかった。

 

 

 事態がよく呑み込めなかったが、「死」が彼女を襲いつつあることは明確にイメージすることができた。

 

 彼女は75歳。まだ少し早いが、いつなんどき「死」が訪れてもおかしくない年齢だ。私も今現在81歳で、高血圧と糖尿病の兆候を持ち、いつ何時「死」が訪れてもまったくおかしくない歳だ。いずれにしても、「死」は人間が避けることのできない関門だ。いずれは死ぬのだから、じたばたしてもしかたがない。

 

 

 歌舞伎の原典は別にして、この浮世絵は、「人間が必ずや吞み込まれる死」をうまく表現している。死を前にすると、人間はいともちっぽけな存在で、生前の活躍もなにもかも全て無視(リセット)されて、皆が皆、ぐいと呑み込まれるのを待っている。

 

 とはいえ、私は私の妻をよく知っている。彼女は簡単には死にはしない。いつもにこにことして、愛想よく、理性の効いた中立で公正な判断をする女性だからだ。簡単には死にませんよ。うーん、どちらかというと、死のほうが避けて通りますよ。

 

 だから、あまり心配しないのだが、心配するのはむしろ私のほうで、せっかく京都に行くのだから、この際、極楽往生を実現するための「お祈り」をしっかりしておこう、と考えたのだ。お祈りの場所は大原の三千院だ。

 

 

 中一日空けて27日の日なのだが、

 

 

 この写真の八つ橋の次の店が土井柴漬物店。この店の本店はバスの駅でいくつか離れた花尻橋にある。私はこの店の千枚漬けが好きだ。昔、父が講釈つきで、食べさせてくれた思い出がある。

 

 

御殿門という名の正面玄関。

 

 

丁度紅葉が真っ盛りで美しい。

 

 

宸殿から庭を眺める。赤毛氈の席はお菓子とお茶を注文しなければならない。

 

 

宸殿の庭(聚碧園)

 

 

宸殿の庭にたたずむ灯篭。苔が生え、紅葉が舞い降りて美しい。

 

 

往生極楽院の手前(有清園)に立つ地蔵菩薩は、200641日の撮影のときには蔦が這っていなかった。見苦しいから、蔦を外そうとしたが、簡単には外れなかった。

 

 

 この阿弥陀三尊像を拝観しにきたのだ。じっと眺めていると、こころが穏やかになってくる。素晴らしい彫刻だ。平安時代末期に造られた。

 

 

斜めから拝観すると、観世音菩薩と勢至菩薩は膝を折り、膝をやや広げて坐っておられる。座り方の所為で、やや前かがみになっているところが奥床しい。こういう風に、丁寧に我々を迎えてくださるのだと思うと、大変嬉しい。じっと拝見させていただくと、「死」にたいして持つ不安が消えてくる。ただ、こういう風にやさしく迎えて頂くためには一つ条件がある。往生の間際に「南無阿弥陀仏」と唱える必要があるのだ。覚えておこう。

 

 

 私の蓼科の家にある観世音菩薩も来迎菩薩なのだが、三千院の観世音菩薩のほうがはるかに品がよい。(参照:2021年夏所感(3) - dousan-kawahara ページ! (jimdofree.com)

 

 

 往生極楽院の裏手にある童地蔵。これは新しいメルヘンッチックなお地蔵様。

 

 

 一番奥にある観音堂の観世音も、どうやら手に御鉢をもっておられるようですから、来迎観音ですね。これにひきかえ、聖観音は左手に蓮の蕾をもっておられるものです。聖観音とは、一言でいえば、哲学観音です。

 

 

 宸殿の本尊は薬師如来ですから、私は、妻のために、宸殿で、薬師如来のお守りと、当病平癒のお祈り札を頂戴してきました。それから、自分のために、往生極楽院で無事極楽往生をお願いしてきました。こうしておけば、今後のことはなにも心配は要らないのです。

 

 これで今回の京都参りの目的は達成です。

 

 注:私は昭和364月から一年間、京都大学文学部の大講堂で、長尾雅人先生の仏教学という教養講座の授業を受けました。京都大学の学生ならば誰でも受講可能な教養講座だったので、それを好いことに文学部に潜り込んだのであった。あの頃が最高に楽しかった。すべての授業が頭のなかにスルリと入り込んだ。それが楽しくてしかたがなかった。ほかに吉川幸次郎先生の中国文学とか、いろいろ。

 

 では皆さま、御機嫌よう。