『勝鬘経義疏』のコア「空智」1

2021/12/05

 

  たまたま京都の東寺を拝観してはっきり感じたことだが、

 

1.     この東寺は仏教の教祖である「釈迦」を無視し、寺域から釈迦を追放している。

 

2.     釈迦が無視されているのだから、この寺は仏教の寺ではない。「釈迦が抜けた」新興宗教である。言い方が悪いが、平安時代の「オーム真理教」である。

 

3.     五重塔とは釈迦の墓、つまりストゥーパ、であり、心柱の下には釈迦の遺骨が納められているのが正常だ。だが、東寺の五重塔初層の内部を拝見すると、神聖な心柱を取り囲んでいるのは、異教の神である。とてもこれは釈迦の墓だとは考えられない。形はそっくりだが、中身がすり替わっている。

 

4.     私たちが拝むのは釈迦像なのだが、東寺で私たちが拝まされるのは、異教の神である。例えば次。

 

 

                                                       画像:東寺  講堂の立体曼荼羅(1

黒川孝雄の美 (franchise-ken.co.jp)

 

中央に位置する五智如来とは、密教の中心仏である大日如来の智(総徳)を5つに分け、それぞれの智を「金剛頂経」(こんごうちょうきょう)に説かれる大日、阿閦(あしゅく)、宝生(ほうしょう)、阿弥陀、不空成就(ふくうじょうじゅ)の五如来、すなわち金剛界(こんごうかい)の5仏を配したものを言う、大日如来を中心とする最重要の尊像である。

引用:東寺  講堂の立体曼荼羅(1) – 黒川孝雄の美 (franchise-ken.co.jp)

 

 

画像:東寺パンフレットから

 

 いずれの写真を検討しても、ここに釈迦の姿は存在しません。ここに飾られているのは「異教の神々」なのです。これらの神々を拝んでも、期待する救済は決して到来しません。法隆寺で聖徳太子が開示された仏教の哲学的核心とはマッチしません。

 

 

そこで聖徳太子の開示された仏教の哲学的核心とは一体なにか、という問題になります。

私はそれを過去の論文のなかではっきり述べています。

 

               『勝鬘経義疏』のコア「空智」(『勝鬘経義疏』の「空智」 (lcv.ne.jp)

 

この論文のなかで、聖徳太子の「空智」を説明しています。

 ただ、昔のホームページ・ビルダーで作成したものですから、その後のマイクロソフトの規準変更に追いついていけず、mutilationが発生しています。読みにくいのです。

 

 こういうことですから、『勝鬘経義疏』のコア「空智」をJimdoで再生しておきます。ご参考になさってください。