2022/04/07
境内に入りました。東大寺大仏殿を日本一の木造建築物とすると、この蔵王堂は二番目の大きさだそうです。建立(再建)されたのは1592年。秀吉の時代なのだが、その前の建物は平安時代のようです。役行者(7世紀後半の人)自身もなにがしかの建物を建てたのでしょうが。
画像:境内の看板から
動画:金峯山寺 蔵王堂 前庭 https://youtu.be/F-IWLWlp2wM
蔵王権現を白鳳時代に創始した役行者と、それから平安時代末期に現れた西行との関係については、別稿を見ていただくとして、私はたまたま御開帳であった蔵王堂に入り、そのご本尊の様相を拝観して腰を抜かしました。
特別御開帳という意味はどうも、平生は本尊に幕でも降ろして見えなくしてあるのを、幕を外して、本尊の前に障子張りの木枠を設け、参拝者が一人で木枠のなかに入り、御本尊と直接対面できることのようです。
さて、それから私は堂内をぐるりと一周して堂外へ出て、蔵王堂に向かって左手の下段にある南朝妙法殿を階段の上から拝観し、
この場所が御醍醐天皇の行宮となった実城寺址であることを知り、でも妙に新しい建築様式の三重塔に少々違和感を覚え、それから改めて、蔵王堂前庭で蔵王堂の佇まいを記憶にとどめました。
画像:前庭内表示板より
それから中千本の商店街を通って、葛餅の店やら、陀羅尼助丸の店やら、
色々のお店の前を通って、中千本を通り抜け、
素晴らしい桜の光景を愛でて、
猿引坂を少し登ったところで、力尽きました。
そこで、道端の倒木ベンチで旅行社から頂いた柿の葉弁当を食べ、ここから中千本の美しい景色をながめて休憩したら、「桜見物はもうこれで良い」という気持ちになりました。
ここが昼食を食べた場所。手前に倒木が見えるでしょ。ここに腰かけて柿の葉寿司を召し上がったのです。赤い服の女性は同伴者ではありません。
下に如意輪寺の多宝塔が見えます。
いや美しかったですね。吉野の桜はこれで結構、と思い、奥吉野の西行庵まで行くことはしませんでした。
万事ほどほどが宜しいようで。
下千本駐車場での集合時間は12:30だったのですが、1時間ほど前には駐車場に帰ってきました。
画像:藤原鎌足像。奈良博三昧(奈良国立博物館) (walktrip.net)
大化の改新(645年)の際、藤原鎌足が中大兄皇子(なかのおおえのおうじ 天智天皇)と談合したのがここだ、というのです。だから、談山神社。本当かな? ついでだが、春日大社は藤原氏の氏神であるらしいですよ。
時刻が4時を過ぎていましたので、祈祷は受けられませんでしたが、私は神前で妻の当病平癒をしっかりとお願いしてきました。
こういうことで、まさにてんこ盛りの遊覧を終え、至る所で桜を鑑賞し、夕方また大洋フェリーに乗って九州へ帰ってきました。
疲れましたけれども、大変楽しい旅行になりました。クラブツーリズムさん、どうも有難うございます。