2020/11/27
してもせんととく
撰炭場(ば)の娘め、
今朝も二度した
うす化粧、・・・
ゴットン
大正の初めには中小ヤマにも
撰炭機が登場し中塊も
水洗機にかけた。其后
粉炭も水洗して遠賀川
の清流まで 真っ黒に染めた
それでも大塊の必要もあるので
撰炭夫(婦)の姿は消えず。
塊炭を流す鉄板ベルト式は
ヨロイと言うていたがバンド
とも云う。長さ10メートル内外で巾
1.20メートル位あって、40センチ位の鉄板が
かさなって走る如くに見える
速度は人の歩行位である 両方に
炭 中の区切りに撰ったボタを流す
二号炭は足もとの板ばりに一じ置く。
昼夜十二時間交代
両手を使わねば叱られる。
「入坑(母子)」
「箱なぐれ」
「立ち掘り」
「ノゾキ」
「バラ スラ」
「マイト孔クリ(二態)」
「舟頭と陸蒸気(おかじょうき)」
「ヤマの米騒動4(警官総動員)」
「ヤマと狐(医師と見舞客)」
こういう絵葉書がほかにもう一冊あります。
なかほどの絵葉書に「一函切賃20銭、白米一升十銭」などと書いてありますが、今80歳の私には、その頃の労働の辛さが痛いほど伝わってきます。現代の人たちにこのような感慨をもらしても、なかなかに賛意は得られないでしょうね。
エジプトのピラミッドを造った4500年前のエジプト人の石工が、このような絵解き文を書き残しておいてくれたら、カイロの博物館に見物客が殺到することでしょうね。
なんと田川市石炭・歴史博物館には、二階に原画室があって、山本安兵衛氏自筆の原画を間近で鑑賞することができます。
一度訪ねて御覧なさい。腰がぬけますから。