2022/03/29
今朝は7:03発の臼杵行の電車に乗って、臼杵市に出かけた。
臼杵駅構内からの眺めはこうだ。
動画:臼杵駅https://youtu.be/5S5VC886m-U
桜は満開だ。
臼杵城址https://youtu.be/sK2uMnnpJbg
臼杵観光はこれで三回目だ。第一回目は2009/11/17。私はレンタカーでやってきて、臼杵の大仏だけを見て帰った。
第二回目は2020/03/06。もうこの時点で私は免許を返納していたから、私は汽車で臼杵に来て、観光センターで電動自転車を借りた。臼杵の石仏を徹底的に拝観した。
今回は三回目なので、石仏は止して、前回見落としていた城址の桜見物を丹念に行った。想像以上に素晴らしい桜であった。
私は臼杵駅から北方向に歩きだし、左に折れて卯寅(うとの)稲荷神社 一の鳥居をくぐり、さらに赤い鳥居群が見えたので右にまがり、ふぐ・日本料理 喜楽庵の横から臼杵城址の高台へ登った。
写真:臼杵城 卯寅口門脇櫓
この櫓は丹生島(にうじま)という名前の城塞島の東端にあたり、下を見下ろすと、東端に位置した昔の船着き場が見える。
動画:https://youtu.be/h7ksNYvZj5Q
島に造られた井戸なのに、真水が涌いていました。
水神が祀られています。丹生島に住む者にとっては命の綱だったのですね。天正14年(1586)10月、島津軍が臼杵に乱入したとき、大友宗麟は臼杵の住人を丹生島城内に移住させたのだといいます。この井戸は、住人にとっての救いの神だったのでしょうね。水神様です。
画像:江戸時代の本丸跡の桜
大友宗麟は手に種が島銃を持ち、背後に王位の尊厳を示す孔雀を描き、彼の財力の根源となったポルトガル船と対峙して、足元には薩摩藩を追い払うために使った大砲を覗かせる。日本で大砲を発砲したのは大友宗麟を嚆矢とする。
関ケ原以降は稲葉一鉄稲葉良通 - Wikipediaの子である稲葉貞道稲葉貞通 - Wikipediaが入城した。稲葉家のための小庭園がここに構築されているが、大友宗麟の偉業とくらべると、小さい規模であり、チマチマしていてお話にならない。
動画:https://youtu.be/pe9X7kqCvJc
二の丸については次の記述を参照されたし。
結局私は、城下に降りて正門を見上げ、写真を撮った。
動画:臼杵城正門 2022/03/29
その後二王座地区を歩き、
江戸時代、稲葉氏五万石の城下町として栄え、国宝臼杵石仏でも知られる臼杵。臼杵城跡を中心に広がる街なかには今も造り酒屋や趣のある商店が残り、なかでも二王座地区は国土交通省の都市景観100選に選ばれている。祇園社(八坂神社)の仁王門があったことから名が付けられたという二王座は、徳川3代目将軍家光の乳母・春日局ゆかりの地。凝灰岩の丘を切り割って造られた切通しの石畳の坂道が続き、「二王座歴史の道」周辺には、格式の高い武家屋敷や長屋門、善法寺や法音寺などの多くの寺院が集まり、散策に格好だ。
(引用:二王座界隈(二王座歴史の道)(大分県/臼杵市)|営業時間・アクセス|るるぶ&more. (rurubu.jp))
興味深く金毘羅水周辺の佇まいを「美しい」と感嘆して、帰りました。