2020/10/20
朝から天気が良かったので、遠出をしようと思い立ち、朝7時過ぎの特急電車に乗り、門司港駅に9時過ぎに到着した。
今現在は、JRの本州連絡トンネルは門司港駅のはるか南側に造られた門司駅から海峡の下に潜るので、昔、関門海峡を連絡船で渡っていたころに使われていた門司港駅は、人間の身体に譬えると、まるで虫垂炎の虫垂のように不要の存在なのだが、過去の実績頼りの栄華を誇って「斜陽の赤線駅」のような存在になってしまった。かっての北九州の鉄鋼産業を支えた筑豊炭鉱はすでに廃山になってから久しい。物流の動きは今現在ほぼ完全にとまっている。
画像:GoogleMap, 2020
昔、栄えた門司港駅周辺は、今はまるで爆撃を受けた廃墟跡のような光景で、空き地のなかに焼け残った建物がポツンポツンと建ち残っている、といった寒々しい光景だ。対岸の下関港には有史以来の歴史がある。だが、門司側には鉄鋼産業という短期的な歴史しかないから、訪れる人にとっては印象が非常に薄い。
上の写真は門司港駅東側に造られた鉄道記念館である。小学生が見学にきている。左上に見えるレンガ造りの建物は旧九州鉄道本社の建物である。(現在のJR九州本社は博多駅近くにある)
写真:九州鉄道記念館の内部 なにもかもとてもクラシックだ。
残念なことに、関門海峡めかり駅まで一日11便運航しているはずの北九州銀行ライン「潮風号」は、今はコロナの所為か土日しか運航していないとのことで、利用できなかった。
写真:旧門司税関。右の尖塔付き赤レンガの建物は大連友好記念館。更にその右の出光美術館は残念なことにコロナで閉鎖されていて入館できなかった。