身延山は食事を摂る施設がないので、到着前に食事をしていきましょう、ということで、道の駅なんぶで昼食休憩を取りました。
道の駅の北側の隅に銅像がある。
南部光行 - Wikipediaは源頼朝の家来だった。石橋山の戦功により甲斐国南部牧(現在の山梨県南巨摩郡南部町)を与えられたので、今でも南部町という地名が残っている。南部三郎の三男実長波木井実長(はきい さねなが) は、父より甲斐国巨摩郡波木井郷を譲られ、鎌倉で将軍家に勤仕する日々の中で、日蓮の辻説法を聞き、深く帰依したという。そして日蓮を波木井郷に招き草庵を結んだ。
これが日蓮宗の総本山、身延山妙法華院久遠寺のはじまりである。
昼食後、観光バスは身延山駐車場に到着します。
天気が良ければ富士山も見えるはずなのですが。
テラスがあって、麓の富士川を眺めることができる。
思親閣へ登る石段脇に日蓮お手植えの杉の木がある。
山門をくぐった境内の模様。
石段の反対側にもお手植えの杉。
日蓮宗の本質については、関係資料を読めば読むほど、よく分からなくなる。釈迦牟尼仏への信仰であることは間違いないのだが、妙法蓮華経寿量品に記載されている永遠の仏を「久遠の本仏」というのだそうです。(日蓮宗 妙法山 蓮城寺 (renjoji.net))
当時生じた日本の国難、「元寇」との関わり合いもあることはあるのですが、文永の役(1274年、日蓮52歳)、弘安の役(1281年、日蓮59歳)に日蓮が参戦したわけでもない。
蒙古襲来絵詞
画像:ファイル:Takezaki suenaga ekotoba3.jpg - Wikipedia 『蒙古襲来絵詞』後巻、絵十六【弘安の役】敵船に乗り込む竹崎季長 - Wikipediaと大矢野三兄弟、応戦する敵船。
元寇については、次の二つのYouTube動画がとても参考になる。
モンゴルから日本を救え!武士の壮絶な戦い【元寇・文永の役】世界の戦術戦略を解説 - YouTube
武士とモンゴルの運命の最終決戦!【元寇・弘安の役】世界の戦術戦略を解説 - YouTube
上の画像・動画と日蓮とは関係がありません。日蓮は蒙古襲来を予言しただけなのです。蒙古を祈祷によって撃退したわけでもありません。どちらかというと、蒙古襲来を説き、社会不安を煽っただけのようです。蒙古襲来の直前になって南部実長 - Wikipediaの勧めに応じて身延山に入りました。
このあたりの詳しい事情については専門家の御意見を拝聴したほうがよさそうです。
動画:https://youtu.be/e-wbhjngTS4 ロープウエイで山麓久遠寺に降りる。
下りの斜面に群生するのはミツマタ - Wikipediaの花です。
動画:2023_04_02 身延山ロープウエイ 三椏の花が咲く - YouTube