2023_11_22 松山・呉 周遊  呉2

2023/11/22

 さあ、今日も快晴だ。私は幸運に恵まれている。

 

画像:呉市観光地図より

 

 9時少し前にタクシーを呼んでもらい、大和ミュージアムに駆けつけた。

 

 

 ミュージアム前では三叉槍 - Wikipediaを携えた海神ポセイドーン - Wikipediaがお待ちかねだ。

 

 

 大和ミュージアムは、本日は日本海軍と航空母艦企画展が開かれており、早速に航空母艦の模型を沢山見物することとなった。上の写真に見るように、飛行甲板に飛行機を載せたエレベーターがせり上がってくるのですね。昔、日本は大層な国力を持っていたのですねえ。感心しました。

 

 是のみならず、大和ミュージアムは戦時色で一杯です。呉という街は過去の海軍の御威光を今になっても背負っている街なのですね。こんな街は日本のなかでただ一つなのです。一見に値します。

 

 

 それに私のような爺が昔を想い起こすのに最適な場所です。ノスタルジアというか、失われた過去の記憶というか、見るもの聞くものすべてが懐かしさそのものです。

 

 

 航空母艦はピストンエンジンからの排煙や廃熱が甲板上に出ないよう、工夫を凝らしていたのですねえ。これも設計図を見て魂消ました。

 

 

 一隻の航空母艦(「赤城」)に1,630人もの人員が乗っていたのですねえ。絶句しました。艦長の階級は大佐なのです。航空母艦艦長の地位がどれくらいだったのかもこれで分かりました。すべての航空母艦に山本五十六が乗艦していた訳ではないのですね。こんな常識も私には新しいことでした。新発見に喜びばかり覚えました。

 

 

 さて、一階の一部が掘り下げられている場所に戦艦ヤマトの1/10模型が展示されています。この模型でも長さが26mだそうですから、実物は260mもあったのですね。

 

 

 三階から眺め降ろした大和。スクリュウが4個付いています。圧巻です。

 

 

 左上の写真が真珠湾攻撃の際のアメリカ太平洋艦隊。時は昭和16128日だそうです。私がまだ満1歳の頃の写真です。真珠湾攻撃を発案・指揮した連合艦隊司令長官山本五十六の写真が左下に見えます。

 

 

 今から思えば「身の程知らず」の行為ですが、明治初期に導入されたカイゼルシステム(注:mokuji5 (lcv.ne.jp)を参照せよ)で凝り固まっていた日本は「身の程知らず」であろうが、「自殺に匹敵する行為」であろうが、ドイツの指示に忠実に従って進み始めたのです。間違っても、第二次大戦の指揮官が日本の天皇であると思ってはいけません。指揮官はドイツのカイゼル、すなわちヒトラーだったのです。読み間違えないように気を付けてください。

 

 

 中央やや左を拡大すると、

 

 

 呉海軍工廠は、昭和20319日に最初の空襲を受けました。

 

 私の兄は、このとき四国沖に集結していた米国航空母艦目掛けて、321日特攻攻撃を行ったのでした。(参考:鹿屋 - dousan-kawahara )出水出発762空攻撃第406飛行隊15名の隊長でした。

 

 

 だから、私にとっては呉の空襲は他人事ではありません。私の兄が呉を守ろうと死んだ場所なのです。

 

 注:清二の遺書 終戦の日 3 - dousan-kawahara 

 

 

 戦争は広島と長崎に投下された原子爆弾で終結しました。日本は降参したのです。昭和2086日、原子爆弾が投下された日、呉からは広島に投下された原子爆弾の原子雲がよく観察できたはずです。上の写真がそれです。

 

 

 それもこれも、明治初期に設定されたカイゼルシステムが大元の原因なのです。(カイゼルシステムを参照せよ。or mokuji5 (lcv.ne.jp)

 

 

 街からは車が消え、上のような三輪車が動いていました。左に男の子が見えるでしょう。この頃の私は、丁度この男の子くらいの年頃だったのです。妙に懐かしさを感じる展示でした。

 

 

 私は地上階まで降りてきました。戦艦大和の後部を見ます。

 

 

 私の兄は海軍特攻隊の飛行機で戦死したのですが、人間魚雷で死んだ若者もいたのです。回天 - Wikipedia

 

 

 その当時の飛行機も展示してあります。上は零式艦上戦闘機(通称「ゼロ戦」)だと思う。

 

 大和ミュージアムはこれで終了しました。私は兄の思い出と重ね合わせ、大いに興奮しました。陶酔というわけではないけれど、その当時の雰囲気が蘇りました。

 

 

 

 

引き続き私は道一本を隔てた海上自衛隊呉史料館を見学します。

 

 

 諸資料を見物したあとで、三階の入り口から潜水艦の内部に入ることが出来ました。次の写真は艦員用のベッドです。

 

 

 これは過去の遺物ではなく、最新型の装備です。閉所恐怖症の方には耐えがたい空間でしょうね。

 

 

 談話室、作戦室、食堂 艦の内部は狭いから、このコーナーがすべての目的に使用される万能室という訳です。

 

 

 潜望鏡があります。ここが指令室なのです。極端に狭いスペースです。

 

 

 操縦室。

 

 

 すべての展示を見終わったあとで、地上階の食堂で、一日20食限定の海軍カレーを注文して食べました。こんなまずいカレーを生まれて初めて食べました。こんなカレーを食べさせられるくらいなら、海軍はもう結構です。No thank you

 

 

 それから私は港に行き、広島行のフェリーの切符を買いました。

 

 

 フェリー乗り場でフェリーを待つ私です。

 

動画:2023/11/22 Maersk vs One Inspiration https://youtu.be/m_H1SA_iesc

 

 離岸する船は江田島行の船だと思われます。江田島も行ってみたかったのですが、次回に譲ります。

 

 

One Inspirationの手前に停泊しているのは、Maerskのコンテナ船。これも新造船だと思いますよ。

 

動画:瀬戸内海汽船 広島行が着岸する。https://youtu.be/Cm62DALb4bQ

動画:広島港入港直前 牡蠣養殖の筏? https://youtu.be/2Lkfy20OUpA

 

DSCN4381 2023/11/22 広島湾 双胴船 海上自衛隊

動画:https://youtu.be/HxoQp1rfC6U

 

参考:発見されたら最期! 「潜水艦」対「潜水艦」は沈黙の戦い (msn.com)

 

 

 これが最後に着岸する広島港の桟橋です。

 

 

 そういえば、昔、広島港のことを宇品港と呼んでいましたね。

 

 

 路線図をよく確かめずに電車に乗ってしまいました。経路5番に乗れば、広島駅に早く到着できたものを、1番に乗ったものだから、紙屋町経由で随分と遠回りをしてしまいました。なに、年寄りにとってはどうでもよい事柄なのですが。

 

 

 私は広島駅で鉄板焼きでも食べたかったのですが、駅弁を買い、新幹線に乗り、そそくさと別府に帰りました。

 

 

 

 

 では皆さまご機嫌よう。

 

 

 

付記:古い映画だが、そういえば「仁義なき戦い - Wikipedia」があったね。呉が舞台でした。戦後のやくざ抗争物語です。GEOへ行ってDVDを借りてこなくっちゃ。