2022/06/23
銅灯篭。
仁王門より下り坂を眺める。
仁王門を振り返る。
江戸時代には参拝客が金を出して桜苗を植えさせる風習があったのですね。これが吉野桜を造り上げた原因かもしれません。
桜が咲いたら、ピンクで埋め尽くされることでしょう。
ついでですが、大峰山寺のことをお話しておきましょう。
役行者と西行 - dousan-kawahara ページ! (jimdofree.com)で説明しましたけれども、西暦700年頃に役行者(役小角 - Wikipedia)が吉野の金峯山で悟りを開きました。ドイツで1514年、ルターが感得した「塔の体験・ルターの神秘体験B (lcv.ne.jp)」とまったく同じ内容の「恐怖の悟り」だったのです。「怒れる神」の顕現でした。ドイツでルター信者が生まれたように、吉野でも役行者信者が生まれました。役行者を後追いする信者は修験道の山伏と呼ばれました。彼らの修行場は吉野の奥の大峰山です。ここで山伏たちは「死の恐怖体験」を味わうのです。吉野山の黒門は大峰山への登山口をも含めた総門なのです。
崖から落とされる体験。
画像:大峯山寺 | 奈良 観光 | 奈良ぶら (kspkk.co.jp)から 大峰山上の大峰山寺。
画像:GoogleMap,2022。大峰山への道。
最近の山伏たちは、金峯山寺を通らずに、下市町を通って洞川温泉(どろがわおんせん)経由で大峰山に登るようです。
画像:大峰奥駈旧女人結界碑 蜻蛉の滝〜吉野中千本 / ゆーみんさん