2022/06/11
さて、翌日はまず飛鳥寺に出かけました。
画像:GoogleMap,2022
入り口にこんな看板がありました。
読みにくいので、読み下しておきます。
飛鳥寺略縁起
崇峻天皇元年(588)蘇我馬子が創立した日本最初の本格的寺院であり、寺名を法興寺、元興寺、飛鳥寺(現在は安居院)とも呼んだ。
本尊飛鳥大仏(釈迦如来)は推古天皇十三年(605)天皇が詔して鞍作鳥に造らせた日本最古の仏像である。
旧伽藍は仁和三年(887)と建久七年(1196)に焼失し、室町以降は荒廃したが寛永九年(1632)と文政九年(1826)に再建され今日に至っている。
現在は真言宗豊山派に属し、新西国第九番、聖徳太子第十一番の霊場でもある。
注1:鞍作鳥(くらつくりのとり)
注2:中国への仏教の伝来(白馬寺、永平十年(紀元67年)佛教の伝来 (lcv.ne.jp))と較べると、
実に521年もの差がありますね。念のため。
鎌倉時代建久7年(1196年)の落雷のための火災で甚大な損害を受けたらしい。その傷跡が頭部と頬に残っている。頭部以外は後補のようです。だからという訳ではないけれど、受ける印象はかなり雑です。
『書紀』の推古天皇元年正月15日(593年2月21日)の条には「法興寺の刹柱(塔の心柱)の礎の中に仏舎利を置く」との記事があり、翌日の16日(2月22日)に「刹柱を建つ」とある。(飛鳥寺 - Wikipedia)
法興寺の中心に在った五重塔の跡地です。心礎の下には舎利容器も格納されていたようで、規定通りです。
飛鳥寺の境内を西に抜けたところに立つ五輪塔。 大化の改新のとき、飛鳥板蓋宮で中大兄皇子らに暗殺された時の権力者・蘇我入鹿の首がそこまで飛んできたとか、襲ってきた首を供養するためにそこに埋めたともいわれる。 五輪塔自体は鎌倉時代または南北朝時代の建立と考えられている。(引用:飛鳥板蓋宮で暗殺された蘇我入鹿の首が飛鳥寺まで飛ぶ - Yumeato.net)蘇我入鹿首塚 | 明日香村観光ポータルサイト 旅する飛鳥
明日香村3 談山神社 - dousan-kawahara ページ! (jimdofree.com)の冒頭の図版に見られる蘇我入鹿の首が飛鳥板蓋宮からここまで約500mも飛んできたというのです。着地したのが上の写真の地点です。
こういう魂消た事実がそれらしき記念物件とともに存在するので楽しいですね。
蘇我入鹿の首が、藤原の鎌足によって刎ねられた場所が飛鳥板蓋宮(飛鳥宮)です。ここです。
GoogleMap,2022で上空から観察すると、次です。