2022/06/29
訪問日時は2006/04/05です。
江戸時代の熊野本宮大社は次の様だったのです。
画像: 本宮本社末社図(ほんぐうほんしゃまっしゃず)(部分) 江戸時代 熊野本宮大社
山中にありながら豊富な水量を誇る大河、熊野川。その上流に本宮が、河口部に新宮が鎮座しています。そして那智山には大瀑布である那智滝が流れ落ちます。新宮のランドマークである神倉の巨大な磐座なども含め、熊野では、神々の祭祀地はいずれも雄大な自然環境と密接に結びついています。
こうした自然環境と、断片的な神話・説話・伝承を紡ぎあわせるともに、熊野地域に伝わった日本を代表する優れた神像彫刻へのまなざしを通じて、熊野の神々がいかに出現したのか、眺めてみましょう。
私は日本の歴史の初めから存在したと信じられている熊野本宮大社へ午後1時過ぎに到着しました。雨が降り続いていました。
大鳥居をくぐると、すぐさま158段の急こう配の階段が待ち構えている。
写真:拝殿 拝殿手前の赤矢印は大黒石。八咫烏の黒石です。
桜が満開でした。
写真:証誠殿(本宮・第三殿)(左)家津美御子大神(素戔嗚尊)と 中御前(結宮・第二殿)(右)速玉大神
写真:中央が西御前(結宮・第一殿)夫須美大神
写真:東御前(若宮・第四殿)天照大神
皆さん、真剣にお詣りされています。というのも、この神社は怖い神社なのです。
画像:熊野牛王符熊野牛王符 - Wikipedia
詳しくは熊野牛王符 - Wikipediaを読んでほしいが、誓約書としての利用法として
牛王符の裏面に起請文を書く。こうすると誓約の内容を熊野権現に対して誓ったことになり、誓約を破ると熊野権現の使いであるカラスが一羽(一説に三羽)死に、約束を破った本人も血を吐いて死に、地獄に落ちると信じられた。起請文としての牛王符を「熊野誓紙」と言った。
というからとても怖い護符ですね。
護符に使われている画像はカラスです。神武天皇東征のときに現れ、道案内をした八咫烏がここに現れているのです。
なお、怖い護符だからこそ、熊野牛王符は落語にも取り込まれています。
古今亭志ん朝 三枚起請
江戸時代になると遊女が客との間で熊野誓紙を取り交わし、擬似的な結婚をすることが流行したという。もっとも、客をたくさん取るために誓紙を乱発した遊女もいたと見えて、上方落語の三枚起請ではそれがばれて起きるドタバタをおちょくっている。
この写真は本宮前にあった看板で平家物語の一節を引用しているようにみえますが、原文に辿り着くのはそう簡単ではない。
平家物語4 平重盛の熊野詣:熊野の説話 (mikumano.net)
巻第三「医師問答」より一部現代語訳
国立国会図書館デジタルコレクションから
画像:平家物語 : 長門本. 巻第1-20 - 国立国会図書館デジタルコレクション (ndl.go.jp)
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が該当する箇所であるが、「忠ならんと欲すれば・・・」は「日本外史」日本外史 - 国立国会図書館デジタルコレクション (ndl.go.jp)に漢文体で出てくるらしい。
ここまで調べましたが、あきらめました。私よりも根気強い方にお任せしましょう。
ここで本宮参りは終了して、温泉大好き人間であった私は、川湯温泉に向かいました。