2018/12/28
別府市の写真集、「ふるさとの想い出写真集 別府」(安部巌編 国書刊行会 昭和55年)をパラパラとめくっていたら、柴石(しばせき)温泉の写真が出てきました。
画像:「ふるさとの想い出写真集 別府」P22
家の立ち並ぶ道の下から筒を通して湯滝が5条流れ落ちている。湯滝を頭から受けているのは湯客3人。すぐ下は渓谷の小川である。
同じ場面を別の写真で見てみよう。
画像:「ふるさとの想い出写真集 別府」P10
この写真はもっと前、明治時代の柴石温泉です。実に風情がありますね。写真の右側は街道なのですが、石段がありますから人と馬しか通れません。
この温泉場を上から見ますと、
画像:「ふるさとの想い出写真集 別府」P11
あの湯滝は上部が湯貯めになっていてそこから筒を通して滝になっているのですね。わかりました。こういう仕掛けのある温泉が今の日本にあればなあ、と感じます。それに昔は温泉から湧く湯の量が圧倒的に多かったのですね。
画像: 貝原益軒
引用:
元禄7年(1694)筑前国福岡の医学者・貝原益軒の『豊国紀行』4月1日の条に、
(上略)頭成より里屋へ一里有。此間坂多し。石多くして路阿しく、里屋に温泉有。塩湯也。
里屋村を又亀川村とも云。平田村は里屋の南に有。鉄輪村は別府の北一里余りに有。実相寺山より猶北也。
熱泉所々に多し。民俗是を地獄と?す。湯の上にかまへたる風呂有。病者是に入て乾浴す。
又其辺に湯の川有。瀧有。瀧の高さ二問半斗病人是に打連て浴す。
元禄7年4月1日、筑前国福岡の医学者・貝原益軒はこの土地を北から南方向に歩いていたのだが、「亀川の近くに湯の川があるのを見つけた。この川には高さ二間半ほどの湯滝が設えてあって、病人がこの滝に打たれて療養している」と記している。この滝は柴石の滝と考えてまず間違いなさそうですね。
この温泉場の現在をGoogle画像で見てみると次なのですが、幻滅ですね。近代は昔の良い風情を台無しにするものなのですね。
画像:GoogleMap, 2018
画像:同上
では皆さま、御機嫌よう。
PS.
油断していたら、風邪をひきました。これで別府風邪は二度目です。お医者さんが申されるには、「別府は鶴見岳からの吹きおろしがあるから寒いのです。東京よりも寒いぐらい。大分の方が、拭きおろしがないだけ暖かいのです」と。慌ててダウンの入った下履きをズボンの下に着込み、上は分厚い毛のセーターをウールのシャツの上に着込みました。なるほど東京よりも寒い、という実感が湧きました。