2020/05/21
画像:GoogleMap, 2020
私はほとんど毎日散歩に出ることを日課としているのだが、鉄輪へのバスに乗ると朝日の一つ手前に「火売(ほのめ)町」という停留所があるのに気付いており、いったいどう考えたら「火売」を「ほのめ」と読めるのか、かねがね疑問に思っていた。
バス停でバスを降りて調べるまではしなかったのだが、5月12日にそれがやっと異國人の私にも分かったのだ。
でも、それがなんと平安時代の貞観9年の事象に遡るとは夢にも思わなかった。
貞観9年とは西暦867年だから、鶯啼くよ(794)の平安京がはじまって以来、73年目。律令制から王朝国家体制に移行する時期なのだそうで、その前年の貞観8年には応天門の変があった。応天門とは、平安京の大内裏の内側にあった朝廷内での政務・重要な儀式を行う場であった朝堂院(八省院)の正門(説明)のことであり、今でいえば、永田町の総理官邸に正門があったとしたら、その正門という政策的に重要な門であった。現在の京都の平安神宮の応天門は、スケールを縮小したミニチュアであるから御参考までに。
王朝国家体制の確立によって、朝廷は地方統治を事実上放棄した。その上、桓武天皇が軍団を廃止した(792年)結果として、地方は治安が悪化し無政府状態に陥いり、16世紀まで日本列島は戦乱が頻発するようになった。
画像:伴大納言絵詞(部分、応天門炎上) 出光美術館
私はこの日、APU行きのバスを本坊主で降り、散歩のための新ルートを考えながら歩いたら、目の前に坂道が現れた。左が朝日中学校、右側が鬱蒼とした深い森だから、私の好みに合っていた。この深い森の下に神社が隠れていた。
早速説明板を読んでみる。
あった、あった。ここに「火売」の文字があった。この神社の名前は火男火売(ほのおほのめ)神社ということがわかった。どうやら、この神社は貞観9年の鶴見山爆発の結果生じた温泉をお祀りしてある「温泉神社」であるらしい。
これで私は喜んだ。というのも、いまから11年前に、私はその当時金沢に住んでいたのだが、身体の不具合が治らず、困り果てて最後手段として、昔ながらの「湯治」をしようと決心し、別府に来た。そして、鉄輪の双葉荘に泊まり込みで湯治を行ったことがあるのだ。この湯治は大成功で、毎日温泉に浸かり、蒸気窯で蒸し上げた料理を食べていたお蔭で、たったの一週間で私の帯状疱疹はきれいさっぱり完治した。四日目に泥のような色の汗と共に、私の身体の中のヴィールスは奇麗さっぱりと体外に追い出されてしまった。私はこのとき以来、別府温泉教信者となった。
その神様がここに祀られているというのは、まことこの日まで私は知らなかった。有難いことだ。私は早速に火男火売神社の神前でお詣りをした。私の身体を癒してくださって有難う、と心から感謝をした。
撮影:2020/05/12。