2023/03/03
George Kamikawa - 上川ジョージ - YouTubeを開いて一曲目、「路上ライブで観客0人から何人増やせるのか?日本人ストリートミュージシャンにたくさんの人が集まった!」を開いて出てくる映像は上なのですが、
使っている楽器は、
ハーモニカ
ギター x 2
歌
右足で シンバル
スネア
タンバリン
左足で バスドラ
日本人でこんなに多彩な楽器を使いこなす人がいるんですね。感心します。
一番上の写真ですが、私には直感的に分かるのです。この場所はメルボルンの中心街シティと呼ばれる区画の内、Swanston St.(スワンストン・ストリート)(左方向に見える通り)とBourke St.(バーク・ストリート)の交差点にあるMidtown Melbourneという名前のショッピング・モールの前なのです。
昔はバーク・ストリートはスワンストン・ストリートのように幅の広い通りだったのですが、いつごろからか、バーク・ストリートの両側の歩道が大幅に拡張されてしまい、地図上ではバーク・ストリートは細い道として表示されるようになりました。
つまりメルボルン市は上川氏のようなストリート・ミュージシャン(大道芸人)に演奏場所を作るためにバーク・ストリートの歩道を、Cityと呼ばれる中心街区で市外電車が通れるギリギリまで拡張したのです。
と言っても、実感できないでしょうが、東京の銀座通りと晴海通りの交差点、銀座四丁目と呼ばれていますが、このSwanston/Bourke交差点はメルボルン市の銀座四丁目なのです。
Swanston St.は晴海通り。Bourke St.は銀座通りなのですが、メルボルン市は1970年頃にBourke St.を常時歩行者優先道路に変更したのです。
ここにジョージ・カミカワは陣取っているのですから、偉いものですね。彼は銀座四丁目の超一等地に陣取っているのです。
メルボルンは私が商社に入って一番初めに派遣された場所です。ですから私はジョージ・カワカミが陣取っている場所をとてもよく知っているのです。
この写真は1960年頃に撮られたメルボルンのバーク通りです。東方向に真っすぐに伸びるバーク通りの正面に見える壮大な建物はビクトリア州議事堂です。私はこの時代にメルボルンに居たのです。左手に百貨店のMeyerが見えますから、この写真はエリザベス・ストリートから撮った写真でしょう。
この写真が示すように、バーク通りはメルボルン市を縦に貫くメルボルンを代表する通りなので、今日ジョージ・カミカワが路上芸人として演奏している場所は東京に例えるならば、銀座四丁目です。しかも彼は銀座四丁目での公演をメルボルン市によって公認されているのです。Utterly impossibleですね。
御覧なさい。バーク通りは広々として壮大です。
昔のバーク・ストリートです。私はこの街に1967年に来て、三年半この街で暮らしました。その間、バーク・ストリートはずっとこのように巨大な通りでした。道の真ん中に電車が走っています。この電車はいまでも走っています。でも1970年代に入ってから、この通りの左右の歩道が大幅に拡張され、自動車の通行が禁止されてしまいました。
だから、ジョージ・カミカワがダンス音楽を演奏でき、通行人が浮かれてダンスができる広場が生まれたのです。
懐かしいですよ。私はこのスワンストン通りを走る電車に乗って私が住むサウス・ヤラ地区のフラットに毎晩帰ったのですから。
酷い時代でした。町には第二次大戦で日本と戦った老兵が沢山いて、ローン・ボーリングをしている。日本人は追い払われるわけではないけれども、冷たい蔑視の目を投げ掛けられましたね。野次られました。
画像:1980年代のBourke St. This 1980 Ad For Melbourne's Bourke St Mall Is Amazing (awol.com.au)
多分私が日本に帰国(1970)してからすぐにBourke St.の歩道拡張が始まり、B streetは歩行者に優しい自動車禁止道路に変わりました。
この写真はGoogleMapから借用したものですが、私が最後に暮らしたGorge-Powlett, East Melbourneという名前のフラットです。あれから50年も経っているのですが、メルボルンの街は変わりませんね。ただただ懐かしい。
一度メルボルンに出かけて、Goerge Kamikawaの演奏を生で聞きたいな、と思っております。
では皆さま御機嫌よう。