2022/12/27
引き続き歩き続けると、
扇山町の公民館。ここが扇山町の中心だ。真ん中の道を真っすぐに進む。と、
道の右手に広大な敷地に建築中の立派なお屋敷が三棟現れる。鶴見岳を背景にして邪魔な電柱は一本もなく、素晴らしい景観だ。
右側の建物の前庭に白いトナカイが群れている。これも極楽近しの予兆かな。素晴らしいセッティングだ。
このお屋敷の前に茶寮 森澤がある。高級店ではなくて手ごろな値段で食事ができるらしい。私はまだここで食べたことがない。
その道を抜けて、境川沿いの道に出ると、少し登った左側に、和蔵(わくら)というカフェがある。豊後豊岡と亀川の間にあるグランヴィリオホテル別府湾 和蔵 (grandvrio-hotelresort.com)とマークまで同じだから、経営者が同じなのかもしれない。一度入ってみたいが、私のような老人がよれよれの格好で入るのは気が引ける。だから、まだ入っていない。
よれよれという格好がこれだ。どうみてもやはりみすぼらしい。でも、人生という列車は見切り発車をする。このままでいいのだ。
それから、境川に沿って下ってくると、西別府橋という橋が境川を跨いでいる。これを渡る。
ここから南方へ向かって歩き、生目(いきめ)に出てから、板地川に沿って、いつもの古道を下がってくる。
極楽の反対は地獄で、杉乃井ホテルの新館が見下ろすのは鶴見(園)地獄だ。堀田温泉と同じく、ここもどうやら温泉の湧出はなく、噴気で温泉を作っている雰囲気だ。
それはそうと、昨日取り決めたアレンジメントとは何か、説明しておかねばなりません。私の著した書物「正覚のとき」(正覚のとき - dousan-kawahara ページ! (jimdofree.com))のなかで(P21)、私は次のように書きました。
つまり、私は受験時代の一年を西野山桜馬場町で過ごしたのだが、このとき私は父親の兄の御一家の世話になりました。小さな二階建ての家でしたが、私はこの家の二階の座敷を与えられ、静かな環境のなかで、大いに勉強したのです。
この時に私の従兄である弘(ひろむ)さんが、この家を取り仕切っておられたのですが、この人があらゆる便宜を図らってくださいました。このとき弘さんは独身でした。彼が幸子さんと結婚されたのは、私が大学を卒業してからのことで、私は幸子さんと一度もお目にかかったことはありません。在学中も、就職後も、わたしは大変に忙しい生活を送りましたので、弘さんと幸子さんのあいだに生まれた「かおる」さんにも一度もお目にかかったことがありません。
もちろん親戚ですから、年賀状の交換は続けていましたが、そのうちに幸子様も亡くなられて、数年前から年賀状の交換もしなくなっていました。恩義を忘れた犬畜生の仕業です。