2021/11/12
画像:おそめ会館の場所。出典:「おそめ」を歩く 京都編 (tokyo-kurenaidan.com)
画像:THE KYOTOに載せられた在りし日の「おそめ会館」
「おそめ」を歩く 京都編 (tokyo-kurenaidan.com)を興味深く読んだ。
私がこういう夜の業界に深くかかわっていたわけではない。昭和35年といえば、私が京都大学に入って1年たったばかりの頃で、京都の吉田に住み始めた青二才の頃だから、そんな遊び金をもっているはずもなかった。
ただ私の知り合いの家が京都市役所前の商家であり、私の父親と極めて親しかったから、私は美味しいものが食べたくなったら、市役所前に行くことにしていた。
京都の街では、京都大学の学生は将来大物になるという期待をもって迎えられ、キャハキャハウキウキ的感覚で迎える風習があった。
だから、この商家の若女将のお兄さんが「○○さん、遊びに行きましょうや」と迎えにきてくれたのも嬉しい限りで、断ることはさらさら考えなかった。
彼は近所の傘屋の若旦那で、一人っ子。妹が商家の若女将になったのが嬉しく、目の前の学生とは釣り合いが取れていないことにも構わず、さっさと私を連れ出してしまった。
すぐ近くには三条河原町があり、飯を食う場所には事欠かなかったので、寿司屋で簡単に寿司を食い、そのあと私を連れていったのが、「おそめ会館」であった。
上の地図では鴨川に御池大橋が架かっているが、その当時、昭和35年には橋など架かっていなかった。御池通は鴨川で途切れていて、川向うに渡る手立てはなかった。その大通りの端っこにポツンと「おそめ会館」があった。
この写真はもちろん借り物。タイのキャバレーの写真だが、このようなキラキラした世界がそこに待っていた。舞台にはダンスステージが設えてあって、傘屋の若旦那はそこで衆目を集めて軽快にジルバを踊った。言い忘れたが、傘屋の若旦那は眉目秀麗な青年で、彼が動くたびにキャッキャッという女たちの嬌声が挙がり、彼がこのキャバレーの花形ダンサーであることが分かった。
彼は自席に超美人のホステスを迎え、ホステスもこの待遇にまんざらではないような様子だった。酒だ、酒だ、と酒やおつまみの類が持ち込まれ、この席のまわりは大変な騒ぎになった。
私はジルバも踊れず、気の利いたセリフも持ち合わせず、田舎の猿が場違いに持ち込まれた檻のなかでちぢこまっている以外に方法はなかった。なにしろ、こちらは無一文の学生。向こうは京都の名門傘屋の若旦那で、金は腐るほどもっていた。勝負はこのキャバレーに入るより先についていたのだ。
こうして傘屋の若旦那への御供遊びは簡単に決着した。
その当時、私はこのキャバレーが祇園の芸者上がりのお姉さん(とその取り巻き)によって作られた超有名キャバレーであることなど露にも知らなかった。
それから五か月後、私は勉強にも疲れ果てて、うまい飯を食わせてもらうために、市役所前の商家に立ち寄った。
商家の若女将がすっと近づいてきて、次のように言った。「あの兄は、しばらくして死にました。一人っ子で家を継ぐ予定だったものですから、父親と母親が落胆して、二人とも順に亡くなりました。だから、私の実家(傘屋)は店をたたみ、私は一人になりました。」
どうやら、実情は次のようだった。あの眉目秀麗な若旦那が相手にしていたのは、やくざの組長の女であったらしい。もちろんやくざの組長は烈火のごとく怒った。「なにを、あの野郎! ××組をコケにしやがって。行ってこい。あいつの○○○○をちょん切ってこい。」
これが事実だったかどうかは知らぬが、とにかくすさまじい雰囲気があの一角には立ち込めていた。いったん組が出てきてしまうと、我々はあったこともなかったことも、口に出してもいけないのだねえ。
こういうすさまじい事態があったものだから、私はこれ以降美人には用心した。パリのナイトクラブは立ち見で済ませ、ブカレストではナイトクラブでも、ホテルのインターコンチでさえ気を付けた。東欧では多くの若者が美人にちょっかいを出して転んだ。転んだ挙句に身を売ることになるのだ。
画像:2021/11/09撮影。散歩の途中で見つけた花。羽毛鶏頭。
この間から少しずつ寒さが増してきたので、下着を長袖に変えて防寒仕様として、また朝の散歩に出かけた。
数日前、娘と電話で話していたら、娘がいうには、「散歩もいいけれど、坂を登らなきゃ筋肉の鍛錬にならないよ」という。そりゃそうだ。下り坂の散歩だけではいずれは養老院行きになってしまう。
最近は娘のいう言葉が金科玉条になってしまう傾向のある私は、直ちにポリシーを変えて、坂道を登ることにした。
画像:GoogleMap,2021。加工済。
まず地図右下の自宅(標高31m)から出発し、別府公園の中を通り抜け、ビーコンタワーの横を抜け、明豊中学校の前を通り、ローソンのコンビニの前(標高103m)までをだらだらと登る。(所要時間30分)そこからかなり急峻な坂道を頑張って登る。観海寺山の絶壁をよじ登る、というとうまく表現できていることになろう。崖の途中の吉弘嘉兵衛統幸陣所跡で一息入れたい気持ちをおさえつけ、さらに登り続ける。ヒイヒイいいながら観海寺橋までたどり着き、杉乃井ホテル中館、本館の前を越し、リストランテ・アズーリまで歩いて、本日の最高地点(標高172m)に到達する。(出発からの所要時間1時間)これで本日のノルマ標高差141mをクリアする。
標高差140mというのは金沢で卯辰山に登るようなものである。結構な運動量になる。傾斜は別府の観海寺のほうがきつい。だから、良い運動になる。これがつい先日までだったら、汗をかいてみじめな登山になるのだが、最近急に寒くなってきたものだから、汗をかかないですむようになって、嬉しい。
映像:観海寺より別府湾を見下ろす。別府は標高が高ければ、どこからでも海を望むことができて嬉しい。別府は海があるから美しい、ともいえよう。
最高地点にたどり着いたあとは、観海寺山の絶壁を別ルートで、芝居の湯まで降りていくだけだ。約45分かかる。最近体重が減って72kgsになったので、快適な歩きを楽しめる。
こうして新しい散歩ルートが確定した。全行程1時間45分でちょうど案配がよろしい。