2021/11/24
今朝の身体の調子なのだが、あまり空腹を覚えないので、コーヒーにビスケットを一つ齧って、つまり腹の減り方50%程度で散歩に出かけた。本日は芝居の湯の日なので、朝9:30に出発して、コースは11月12日のコース(おそめ会館 - dousan-kawahara ページ! (jimdofree.com))として、観海寺の山を登って霊泉寺へ降りてきた。小食で家を出てきた所為か身体が軽く、非常に歩きやすかったため、霊泉寺から少し坂道を登ると南立石公園に入ることができるので、ゆっくり歩いて南立石公園の西南口から公園に入った。丁度紅葉だったので、写真を何枚か撮った。
この公園はだだっ広いだけの公園に見えるが、西南口に近いところに日本庭園が造られていて、京都に来た感じになる。
紅葉は始まったばかりで、ちょっと早いのだが、美しい。
この公園の特徴は、上の写真の左側に見えるように、庭師が入れたような岩が点在する。この岩は別府市が庭師を使って運び込んだものではなく、伽藍岳の噴火(有史前)によって吹き飛ばされてきた岩だと思われます。南立石公園だけでなく、別府市には至る所にこのような飛来岩石が存在します。
南立石公園の紅葉は沢山あるわけでないが、とても美しい紅葉で、暇人の老人の心を慰めてくれます。
明日の晩からサンフラワーに乗って、京都まで行ってきます。別府にじっと籠っていても刺激が少なくて飽きてくるので、遠出の旅をしてみよう、という実験的な旅行です。
といっても、81歳のお爺が杖をついて旅にでるわけですから、大きなことは期待できません。平生なら3時間も歩くと眠気がさしてきてきて、ごろっと横になってしまう私ですから、身体が持つかどうかの耐久レースというところかな。
まず梅小路の京都鉄道博物館に行こう、と思っています。
まだ昔の転車台が残っているのです。
私が初めて京都に来たのは、私がまだ小学校4年生のときで、金沢からは汽車ポッポで6時間もかかりました。なんとその当時からの蒸気機関車が今に残されているのです。感慨無量ですね。
松風(丸状に焼き上げ、短冊状に切り分けた松風)
しかし、蒸気機関車くらいで驚いてはいけません。私が大学に入ったのは昭和34年のことですが、私の母方のおばばが注文を付けました。「西本願寺の前に亀屋陸奥(かめやむつ)という菓子屋があるから、金沢に帰るときは亀屋陸奥へ寄って、松風を買ってこい」というものでした。このおばば(私の実母の母親)はもう一つ注文をつけたのです。松風は、切りそろえたものでなく、商品を作る時の切れ端を売っているから、それを買ってこい、という難しい注文でした。松風のカタログを調べると(「徳用袋」:丸状の松風を切り分ける際に出る切れ端を袋詰めしたもの。)と書いてありますから、今でも売っているのでしょう。
昔の人は、西本願寺を今の宮中のごとく敬い、西本願寺にまいったときは、必ず「松風」を土産に買って帰ったもののようで、おばばのセンチメンタリズムを理解しないままに、言われた通り、買って帰ったものです。ちなみにその頃は蒸気機関車は廃止され、ディーゼル機関車が特急を引っ張っていました。