森藩別邸

2022/02/21

 一昨日も、昨日も、雨が降り、それで外出はできず、一日中家に閉じこもっていたから、今日こそは歩きたいと、やる気満々で、しかもきょうは月曜日で芝居の湯に入る日だから、出発するのは9時半だと、そう思っていたが、身体のほうが優先してしまい、朝8時半に家を出てしまった。

 

 

 家の前のバスストップに行ったら、すぐさま5番のバスが来た。APU行きだ。これに躊躇わず乗った。今日の歩きのコースは歩きながら考えたらいい、とそう思って出たとこ勝負で今日の運に賭けたわけだ。

 

 

 私の運はバスが明礬クリニックに来たときに決まった。今日は明礬クリニックのあたりをうろうろすることにした。バス停のところにシャビーシックという家具店があって、時間はちょうど9時だから、店の主人とマダムが回転の準備をしているところだった。でもここには入らなかった。入ると、何か買わなければならなくなる事態が目に見えていたので、狭いフラット暮らしの私には、家具は買いたくても入れる場所がないのは目に見えているからである。見上げるとANAホテルがにっこりたたずんでいる。この場所から見上げると邪魔者が一切入らぬから、実に美しく映えている。

 

 

 そう言いながら振り返ると、明礬クリニックも素晴らしい眺めだ。鶴見岳もそれに連なる内山も今日は雪の薄化粧をして、実に美しい。明礬クリニックがどういう組織でどういうファンクションをもつのか私は知らないけれど、こうやってみるとこの建物も美しい。

 

 

 振り返って別府湾のほうを眺めると、温泉蒸気が立ち上がり、こちらも眺めは上々だ。このすぐ下の斜面には別府平和園児童養護施設というのがあって、珍妙な緑色の円形の屋根が連なっている。

 

 

 ここもわざわざ訪ねる必要もなさそうだし、かといって、それに隣する墓石の鶴見石材にも興味はないから、通り過ぎようと思ったら、そこに森藩別邸という小さな看板が立っていた。

 

 

ここは先に照湯(参照:照湯2 - dousan-kawahara ページ! (jimdofree.com))で説明したように、

 

照湯惣図

1830(天保元)年、所領(森藩久留島領)巡検に来た藩主久留島通嘉は、祓川の川岸の温泉場の興廃を嘆いて、大庄屋・直江雄八郎重枝と庄屋・佐藤忠左衛門などに命じて、祓川左岸の照湯の地に、浴場・お茶屋・湯滝・築山・庭園などを造営させた。

 

という絵があって、照湯と照湯の上部の土地が江戸時代には豊後森藩の所有地であったことを説明している。

 

 豊後国速見郡鶴見七湯廼記(原本は大分歴史博物館蔵 馬溪橋 (pref.oita.jp))をお読みいただければお分かりいただけると思うが、春木川に沿って照湯という温泉場があり、ここはもともと森藩の所領であり、森藩久留島第八代の久留島通嘉(くるしま みちひろ)が照湯という名前の温泉場を造築したものである。

 

 だが、歴史書には久留島通嘉が造築したのは照湯惣図の描かれた建屋がすべてであることがかかれているだけで、森藩別邸という建物はここには含まれていない。

 

 

 では、森藩別邸とは何や知らんと疑念が生じる。そこで行ってみた。

 

 

 行ってみたところ、春木川の上流にある高速道路のたもとにある温泉施設とその手前にある貧相な掘っ立て小屋いくつかがあった。現在の照湯の上流300mくらいのところかなあ。手前に㈱サラビオ温泉微生物研究所という名前の武骨なコンクリートの建物があって、どうやら化粧品を作っている感じ。

 

 

 現地にはこういう看板が立っていて、まるで、昔ここに森藩が陣屋出張所でも建てられていたかのような記述がある。でも先に述べた照湯惣図には別邸などという建物は存在しない。不思議だねえ。

 

 

 温泉茶屋という掘っ立て小屋が建っている。現在工事中だ。

 

 

 どうやらこの掘っ立て小屋でちょっとした料理を作ってくれるらしい。小屋の中の生簀にワタリガニが一匹、料理を待っている。つまり、この掘っ立て小屋は海鮮料理を地獄釜で料理して客に食べさせるという趣向らしい。

 

 興味があったが、まだ朝9時だし、別邸も準備ができていない模様だったから、そのまま帰ってきた。

 

 

 ほんのすこし歩くと照湯温泉の閻魔坂の上に出たから、その坂を下った。

 

 

 閻魔坂の下に鎮座ましましておられるのが、この閻魔様だ。

 

 

 近寄ってみると、冥界の王として死者の生前の罪を裁く神閻魔 - Wikipedia様だけにいかにも怖い。

 

 先ほどの照湯惣図をよくよく観察すると、この閻魔様はもともとは閻魔坂の下ではなくて、閻魔坂の上部の木戸際にあったものらしい。

 

 

 天保1415年頃に描かれた照湯惣図には、この通り、坂上に鎮座していた閻魔様が、現在は坂下に居られるのであるから、約180年の間の度重なる水害で閻魔様は閻魔坂を転げ落ちたものと推察できる。

 

 現在の閻魔様―動画は次。

 

                 https://youtu.be/bZ6-pDyCKf4

 

と、こういうことで今日は森藩別邸を偵察してきました。

 

 

では皆さま、御機嫌よう。