2021/03/14
便利な世の中になったものだ。
私は毎日朝2時間かけて別府の街中を散歩するのだが、出発する前に必ずGoogleMapを開き、別府の地図で本日の散歩コースの予定を立てる。そして大体の予定が出来上がったころに別府市の地図のホテル白菊前のバス停をクリックして、バスの発車時間を調べる。別府市は別府湾に向かって東側に流れ落ちる傾斜地なので、まずバスに乗り、西側に移動して高度を稼ぐ必要があるのだ。
だから、常日頃GoogleMapのお世話になっている。
このあいだ、イスラエルの地名がニュースのなかで出てきたので、イスラエルのなかのどこかを調べる目的で、GoogleMapを開いたのだが、そのあたりの地形を調べているうちに、その北方、レバノンの首都ベイルートの地図を興味本位に拡大してみた。
ベイルートといえば、日産の元会長カルロス・ゴーンが住んでいるのは、ベイルートだと思い出した。私が大学生であった頃には、つまり1960年頃には、ベイルートは銀行業で経済的に繁栄し、観光産業が栄え、「海岸ではルーレット、背後の山岳地帯ではスキーが楽しめる」土地として、貿易会社の駐在員はこぞってこの土地での中東駐在を望んだときもあった。
During the 1960s, Lebanon enjoyed a period of relative calm and Beirut-focused tourism and banking sector-driven prosperity.
Lebanon (03/22/10) (state.gov)
そのベイルートの最近のGoogleMapが下だ。
このベイルートで爆発事故が起きたのだ。2020年8月4日18時頃(現地時間)。爆発地点は下の図の赤丸の地点である。
赤印の地点をGoogleMapで大きく拡大すると、下の通りである。
Xの地点の倉庫に、レバノン税関が6年前に押収した2,750tの硝安が眠っていることを知らず、化学知識が欠如していた工事屋が倉庫外壁の溶接作業をしていたところ、引火して爆発した。爆発の規模は、広島原爆の1/10だったという。現在は深さ43mのクレーターとなっている。
爆発前の港の西方向からの鳥瞰画像が次だ。(Wikipediaベイルート港爆発事故 - Wikipedia)
爆発後の様子は次だ。倉庫に隣接する白い巨大な穀物貯蔵用サイロはみごとに破壊された。この破壊により、レバノンの穀物備蓄の85%が消失したという。(Wikipediaベイルート港爆発事故 - Wikipedia)
港湾地帯と市街地を隔てるCharles Helou(シャールル・ヘロー)通りより海側は完全に壊滅している。ちなみにシャールル・ヘローは1964年から6年間(つまり、ベイルートの全盛期に)レバノンの大統領を務めた人の名前だ。奥に見える二基のコンテイナー・ローダーも破壊されているから、このベイルート港は港としての機能を完全に失っている。
詳しくはベイルート港爆発事故 - Wikipediaを読んでください。
事故当日、港にはサウジアラビアへのクルーズから帰港したクルーズ船オリエント・クイーン号Orient Queen (1989) - Wikipediaが係留されていたのだが、この爆発により、転覆して横転した。(ちなみに2020年のメッカ巡礼は7月だったのだが、コロナの理由でメッカ巡礼は中止されていた。)
画像:転覆したOrient Queen号。GoogleMap, 2021。一部改変。
こういう事故の跡までもくっきり見れるのだから、GoogleMapというのは凄いな。
昔は撮影禁止だったメッカのカーバでさえ、GoogleMapは見事に映し出してくれるのです。
昔は非イスラムの外国人は立ち入り禁止だったものが、いまや、メッカのまわりにはヒルトンホテルもあり、スターバックスまであるのですから、驚きです。
話がどんどん逸れてしまいました。
皆さまにはどうぞご機嫌よう。