2024/03/04
昨日朝、いつもの通り散歩にでた。
ということは朝11時頃、ホテル白菊前から3番のバスに乗って出発したのである。
いつもと違うのは、扇山公民館で下りずに、自衛隊前でバスを降り、自衛隊領域に沿って北方向に歩いたのである。
いつものように別府湾の景色を眺めて、「私は夢のように美しい場所で転地療養できている」と喜び、
左側に扇山を望みながら歩き、正面にはANA Intercontinental Hotelの威容を拝し、坂を下っていく。
右側にアイベック地熱発電所が正常に運転していることを頼もしく思い、
画像:GoogleMap,2024
ホテル「おやど湯の丘」を「まだ入っていないなあ」と羨ましい思いで眺め、500号線との分かれ道まできた。この交差点は信号下の表示板では「坊主地獄先」という地元民でなければ決して訳が分からない地名になっている。
実はこの角が本坊主の地角になっているので、別府市民ならば、「坊主地獄先」で充分理解できるのだ。
ここまで歩いて来て、まだ疲れてはいなかったのだが、バス停「本坊主」には30分毎にAPUから出発の5番バスがくるので、「本坊主」でバスを待つことにした。11:54にバスが来るからまだ40分しか歩いていないけれど、次が30分後だから、バスに乗っちゃえと判断したのだ。
前に火売町(ほのめちょう)1 - dousan-kawahara ページ! (jimdofree.com)でとっくり説明しましたが、平安時代貞観9年に鶴見岳が爆発した後、室町時代明応7年(1498)にもう一度日向地震(マグニチュード7.0-7.5)があり、そのときに沸いた泥坊主温泉が、ここの「本坊主」なのです。
だから別府市民ならば、この土地は別府温泉の発祥の地ですから、だれでも知っている基本中の基本なのです。
それはさておいて、バスは鉄輪経由で順調に走り、12:15に野口原に到着しました。ここが温泉「芝居の湯」なのです。
なんと派手っちいポスターでしょう。これは芝居の湯の階段の間に飾られている街芝居のポスターなのです。楽しいですね。別府市役所がこのような趣向を考え出したようです。
ここまでは順調に来たのですが、ここで問題が発生しました。
いままで考えも付かなかったような大問題です。
時刻はほぼ12時半。湯客のもっと少ない時間です。画面の左端に見える柱の根元に洗面道具のタッシェと服箱の鍵とを入れた湯桶を置いて、湯舟にたっぷりと浸かったのですが、湯から上がったのに、湯桶が見当たりません。
これでは身体を洗うこともできないし、脱衣場へ戻っても鍵がないから、服も着れません。
たったひとりの湯客が私のタッシェをもっているように見えたので、「それは私のタッシェですよ」と言ってみたのですが、裸の湯客は断固とした口調で、「これは私のだ」と主張するので、らちが明きません。
画像:困る男性のイラスト
さあ、困りました。
私は番台にクレームしようにも、服箱の鍵がないから、素っ裸で温泉の入り口まで出ていかなければなりません。他にだれもいませんでしたから、事情をはなして番台まで走ってもらうわけにもいきません。
万事休す。
湯室を出たり入ったりしているうちに、馬鹿な私でも気が付きました。非常ベルを押せばよいのです。
画像: 「弁慶の立ち往生」
直ちに駆けつけてくださった係員のおばさんと二人して、頑固な爺を説得して洗面具を取り戻しました。やれやれ。
このお爺は脱衣箱の鍵を二つも腕にはめていましたので、これも係員のおばさんが見つけてとり戻しました。
なんでもこのお爺は普通は奥さんと一緒にきているのだそうですが、本日は一人で来たらしく、まったく訳が分かっていないのだそうです。
典型的な認知症だということでした。
PS
水曜日に芝居の湯に出かけたら、先日助けてくれたおばさんが番台に座っていて、教えてくれました。
例の認知症爺は行橋の人だそうで、わざわざ70kmも離れた行橋から芝居の湯に入りに来たのだそうですが、帰りがけに服箱の鍵を持って帰ってしまったそうで、昨日鍵が送り返されてきたので、やっと事件が全部解決したそうです。
往生しますよね。芝居の湯も!
私は5年間もの昔からこの湯屋を使っていますけれど、考えてみれば、別府の街でもっとも施設の整った温泉で、且、入湯料が安いのは、芝居の湯ただ一軒きりなのですよ。行橋からわざわざ温泉に入りにくるお爺さんの気持ちもわからぬではありません。JR九州のソニック号でくると片道3,000円もかかりますから、きっと奥さんの運転で自動車で来られたのでしょうね。