2020/06/16
画像:旧開智学校校舎パンフレットより
もともとは松本城公園内、今の博物館のあたりに建築されていたようです。
上の図は旧開智学校内に展示されていた錦絵です。どう見ても女鳥羽川沿いとは見えません。ここは二の丸敷地内です。
それにしても明治9年にこのような様式の教育施設が建築されたなんて信じられません。
そもそも義務教育とは、
1879年(明治12年)の教育令施行から1941年(昭和16年)の国民学校令の制定までは、保護者は市町村長の許可を得るなどして義務教育として「家庭又ハ其ノ他」における教育を選択することができた。(Wikipedia義務教育)
と書いてありますが、開智学校の建築は、(明治12年の義務)教育令施行以前であり、1872年(明治5年)公布の学制に基づくものと推定されます。ここに学制とは、「明治5年8月2日(1872年9月4日)に太政官より発された、日本最初の近代的学校制度を定めた教育法令」ですから、古い古い。驚くような古さです。
よくこんな古い教育施設が残っているものですね。国宝に指定されるのも宜なるかな、です。
この旧開智学校のお隣に新しい開智小学校が建てられていました。これもとても美しい建物です。
自転車に乗って緩やかな坂道を下ってくると、お堀端の松本神社の一角に松本神社前井戸というのがありました。この場所はかつて北不明門(きたふみょうもん)のあった場所です。
画像:
画像:
美しい井戸が湧いていました。
そういえば、この松本という街は市内のいたるところに美しい井戸があって、冷たい湧水が提供されています。
たとえばこれ、
四柱神社前です。
湧き水ではないが、噴水もあります。
なんという美しい街でしょう。感心しました。
私はこのあと松本駅に戻り、駅ビルのなかで美味しいお蕎麦を食べ、ご機嫌よく茅野に戻りました。茅野市を抜け出す初の試みは成功でした。
では皆さま、御機嫌よう。