2024/07/26
釈迦は、6年にわたる生死の境を行き来するような激しい苦行を続けたが、苦行のみでは悟りを得ることができないと理解する。修行を中断し責めやつしすぎた身体を清めるため、やっとの思いで付近のナイランジャナー川(Nairañjanā、尼連禅河)[注 1]で沐浴をした。
このとき乳粥供養をしたのがスジャーター - Wikipediaである。スジャータの乳粥供養を受けて心身ともに回復した釈迦は、心落ち着かせて、近隣の森の大きな菩提樹下に座し、(東アジアの伝承では旧暦12月8日に)遂に叡智を極め悟りを得て、仏教が成道した。
最後の悟り(正覚)の直前に釈迦を襲ったのがMara (demon) - Wikipediaである。
画像:Attack of Mara’s Army
正覚の直前、醜悪なるマラの軍隊に襲われた。釈迦はMaraの軍隊を打ち破り、悟りに入られた。
注3:
正覚(しょうがく)とは、仏教用語で、さとり、仏のさとり、正しいさとりのことを指す[1]。また、宇宙の大真理をさとること[1]。真理をさとった人[1]、仏[2]、如来を意味する場合もある[1]。
画像:正覚に至られた釈迦(法隆寺仏像 - 金堂 | 聖徳宗総本山 法隆寺 (horyuji.or.jp))
1. ルンビニ― 釈迦誕生地
2. ブッダガヤ(ガヤ-)正覚に至られた土地
3. ワ―ラーナシ― 初転法輪
4. クシナガラ 釈迦の入滅の土地
ブッダガヤ―での「正覚のとき」に関する彫刻はラホール博物館には見当たりませんでした。そこで現在のブッダガヤ―大塔の写真を一枚載せておきます。
画像:ブッダガヤ - Wikipedia大塔
注4:ブッダガヤ大塔
今からおよそ2500年前、釈迦が悟りを得てブッダ(サンスクリット語で目覚めた人の意味)となった場所には、高さ約52mの大塔を有するマハーボーディー寺院が建っています。インド最初の統一王朝、マウリヤ朝のアショーカ王が紀元前3世紀に建立したと伝えられ、(その後増設を重ね)7世紀にはほぼ現在の形になったといわれています。本殿では10世紀末から安置されている金色に輝く釈迦如来像が穏やかな表情で参拝者を迎えます。大塔の脇で枝を広げる巨大な菩提樹の下には、釈迦が悟りを開いた金剛宝座があります。(ブッダガヤ|インド 世界遺産|阪急交通社 (hankyu-travel.com))
釈迦は菩提樹下で悟りを開いた後(成道)、ヴァーラーナスィー(波羅奈国)のサールナート(仙人堕処)鹿野苑(施鹿林)において、元の5人の修行仲間(五比丘)に初めて仏教の教義を説いた[1]。
注5:現在のサールナート - Wikipedia
紀元前3世紀アショカ王が初転法輪の記念としてストゥーパを建て、仏教信仰の中心になった。現在の姿のストゥーパは増築されて出来たもので6世紀ごろのグプタ朝のもの。
撮影:2011/02/23
火葬
仏陀の遺体は火葬に付された。
遺骨の分配
遺骨箱の受領者達はそれを馬や象の行列で、のちにストゥーパに埋葬される場所まで運んだ。
こういう次第で、釈迦はその一生を終えられたのだが、注目すべきはブッダガヤにおける「正覚」であり、その中身である。これはガンダーラの彫刻士が形に顕わそうとして顕わせなかった仏陀の精神上の核心である。
私の書物『正覚のとき』は私自身の正覚経験、ならびにその立体的構造分析、プラス、正覚の歴史的把握の仕方につき、詳説してある。昔のように「良くはわからないけれども」ではなくて、「実際はこのような経験をする」と具体性に富んだ指摘である。参考にしていただければ有難い。
続