2021/10/06
マイセン (Meißen)
画像:2008年6月15日撮影。マイセン磁器製作所入り口 場所は旧東ドイツ。ザクセン州の州都ドレスデン
の西北西10km。
画像:Google, 2021 一部修正。
私がドイツに駐在していたのは1982年3月までだったから、ベルリンの壁の崩壊(1989/11/10)に先立つこと7年であり、6年間にわたる私のドイツ駐在のすべての期間にわたって、鉄の壁は厳然として存在し、私たちは東ドイツに入るためにはチェックポイント・チャーリーを通過して東ベルリンに入る以外に方法はなかった。
いや、ほかにも方法はあった。この方法は地下鉄経由フリードリッヒ通り駅だったが、アメリカ映画「ブリッジオブスパイ」(ブリッジオブスパイ、ドイツ・グリーニッケ橋とU2撃墜事件の解説 - ジェットストリーム (hatenablog.com))で描写されているように、浮浪者による略奪行為が頻発していたので、私たちはチェックポイント・チャーリーを使った。
でも、私たちの愛するマイセンはベルリンよりはるか彼方で、その当時私たちがたどり着く術はなかった。
いまはベルリンの壁もなくなり、共産主義という政治体制は経済的な合理性がないことが立証されたので、欧州からは完全に払拭された。だからマイセンへも自由に行くことができる。
不思議なことに、共産主義という壁があろうがなかろうが、マイセンという陶器芸術はその名声を世界に誇り続けた。私の滞在中、高さわずか20cmのマイセンの陶器像が当時のお金で2000D-マルクでケーニッヒスアレーの陶器屋で売られていた。もちろんサラリーマンの私が買えるはずがなかった。美術は社会体制の壁をやすやすと飛び越えていたのだ。
そこで2008年6月、68歳になって自由の身になった私は、念願のマイセンに出かけたのだ。ベルリンでレンタカーを借りて、ドレスデンの街の手前でマイセンの国立陶器製作所に立ち寄った。
素晴らしい犀の造形。圧倒的に優れた造形で声もでない。背中から渦巻状の角が突き出た犀なんて、どこからこういう発想が生まれたのだろう。近代的なきらびやかさを備えた「犀」。美しいねえ。
かと思えば、ベニスの仮面舞踏会から現れたような人形の群れ。手に巻物を持つ博士。胸にハートの巨大ブローチをつけた夢多き乙女とボーイフレンド。胸に巨大な真珠のネックレスをつけ、手にチューリップの花を携え、物思いにふける貴婦人。一番左の鳥顔はいったい何者か?
これらを造形する職人の仕事場が最後に現れる。職人も、いちいちうらやましいほど美しい。