2023_05_24 恐山より帰る

2023/05/24

 

 一昨日の東京帰着が22時だったので、大崎のニューオータニ・インに宿泊し、昨日12時新宿発のあずさ号で帰ってきました。気候は一転ひどく寒くなり、しかも雨。でも茅野に到着するときには雨は上がっていて、一安心しました。

 

 上原モータースでバイクを受け取って、途中でJAに寄って果物とカレーライスなどを買い込み、家に辿り着きましたが、あまりの寒さで、身体の重心が落ち着かず、フラフラしました。

 

 凍結防止後の通水も無事終えましたが、老人ボケというのか、蓼科の家に置いておいた品物の場所をすっかり忘れていました。

 

 

 

 

 さて、2023/05/21青森県恐山のレポートです。

 

 

 私は今回、念願の恐山に参拝することができてひどく嬉しかったです。というのも、私は私のペンネームを河原道三としていて、その意味するところは、「賽の河原に来てみれば、あちら(極楽)に渡るのに、つ見える」だからです。

 

 通るべき道が三つとは、一つは浅瀬であり、一つは深瀬であり、最後の一つは橋であり、水にも濡れずに橋を渡るのが最上策ですが、ここは善人しか渡ることができません。

 

 

 寺門に入る前に、「三途川(さんずのかわ)」と「太鼓橋」が見えました。右側の大きな湖面は宇曽利湖 - Wikipediaです。太鼓橋は修理中でした。

 

 

 私はもうすぐ三途の川を渡る年頃になっていますので、その模様はどのようになっているのか興味があったし、三途の川を渡る前に、私の家族のなかで無念の死を遂げた三人を回向しておきたいと強く念じていましたので、お詣りできて大変に充足感を覚えました。

 

 

 礼拝前に寺務所で御朱印を頂きました。事務所の中にはお坊さんがただ一人、預けられた御朱印帖に日付を入れて朱印を押しておられます。

 

 

 外に出ると、岩肌に白い花が咲いています。磯つつじです。イソツツジ|素人植物図鑑 (jplants.sakura.ne.jp)

 

 

 

 風車は水子供養のためのものらしいです。

 

 

 他の人たちは御山巡りに出発しましたが、私はまず本堂で真剣に長くお祈りをさせて頂きました。非業の死を遂げた三人が「すぐそこで待っている」感じを受けました。もうすぐ私もそちらへ行って、彼らと会えるのです。写真に写っている柵の向こうで三人が待っている感じでした。

 

 

 先ほどのペンネーム解説のところでお話しましたように、私は(若い頃のことですが)善人として三途の川を橋で渡りたかったにもかかわらず、現実にはそうはなりませんでした。私は太鼓橋を渡ることができないで、下図のように川の深みの中を赤鬼の桎梏を受けながら、苦痛の限りを味わい、まさに殺される寸前まで耐えて、辛うじて生き延びた人間なのです。

 

 

 だから、三途の川にはとてもとてもの親近感があり、63年後の今でも思い起こす苦痛を身をもって感じ取るのです。

 

 

 お詣りを済ませ、いよいよ恐山温泉薬師の湯です。

 

 

 その内部。薄青色に黄色が混ざった色合いです。湯加減は40℃くらいかな。二槽あって、中央の塩ビ管から温泉が流れ込んでいます。匂いは強くありません。上品なお湯です。白い細かい湯の花。これは上等な硫黄泉だと感じました。

 

 

 こういう板敷に直に座るタイプのお湯は、東北地方でも九州でも広く見られる伝統的な昔の温泉のスタイルです。

 

 私は63年前の地獄の苦痛を癒すために、この温泉に来たのです。さきほど本堂で、私ばかりでなく、非業の死を遂げた三人の恥と無念を晴らすために深く深くお祈りをしてきましたから、これで思い残すところはありません。私はゆっくりとこの恐山温泉薬師の湯に身体を投げ出しました。青白色の湯がしっかりと私の身体を包んでくれました。

 

 

 脱衣所もごく簡単な造りです。虚飾というものが一切ありません。

 

 

慈覚大師堂です。恐山は、天台宗を開いた最澄の弟子である慈覚大師円仁が、平安時代初期に開山した霊山です。見物人はこのお堂の前を通り、左手の宇曽利湖岸の極楽浜をまた左に折れて一周してくるわけです。大変に古くて歴史のある霊場なのですね。円仁 - Wikipedia

 

 

 誰かがこの地にお墓を立てました。五輪塔については五輪塔お墓の意味を参照してください。下から順に地輪、水輪、火輪、風輪、空輪と積み重ねるのです。

 

 

 冷抜(ひえ)の湯(女性用)越しに望む大師堂。奥に見える火山岩の瓦礫の中から温泉が沸いてくるのです。

 

 

 人を見送るのか、人の魂を吸い寄せるのか、風車が回っています。

 

 

 最後に見送ってくださるのは六地蔵。写真に写っているのは柄香炉を持つ天道、数珠を持つ人間道、合掌する阿修羅道です。六地蔵 - Wikipedia

 

 自負の心はすっかり抜き取られ、主体性がかけらほどもない、従順な気持ちになって、帰路に就きました。