アーロルゼン5

2018/07/21

 

 

 現代に住む私たちにとっては、40年前のワルシャワ条約軍の越境攻撃という概念は、なんとも時代錯誤な誇大妄想であったように見える。というのも、現代の戦争は、フレデリック・フォーサイス『キル・リスト』(The Kill List)に描かれているように、人工衛星とコンピューターとドローンで相手を仕留める無人機攻撃に移り変わっている。味方の陣営を楯とする機甲部隊による戦争などは時代遅れも甚だしい。

 

 

 

 だが、第二次大戦後のベルギー軍機甲部隊の駐留は、大古の昔から存在した蛮力による古代戦争に酷似している。それは時代を越えて、腕力による勝ち負けの戦争であった。蛮力によって勝ったほうが勝ち組で、負けたほうは敗者になるのである。結果としての勝敗に恨みっこなしが戦争にたいする評価であった。

 

 

画像:ナラムシンの戦勝記念碑。ルーブル美術館にて2014/05/14撮影。

 


 

私が連想する古代の戦闘場面はルーブル美術館に保管されているナラムシン戦勝記念碑である。4200年前のイラクは森林におおわれ、ライオンが跋扈していた。人間は大古の昔から現代の戦争と似たような戦いを続けた。第二次世界大戦後のアーロルゼンでのベルギー軍の駐留は、ナラムシンによる古代戦争の再現にすぎなかった、といえる。古代の戦闘道具は楯と槍であったが、現代では戦車と飛行機を用いていることだけが違っていた。

 

 

 

ナラム・シン(Naram Sin、在位:紀元前2155 - 紀元前2119頃)は、アッカド王朝の大王。大規模な遠征を繰り返しアッカド帝国の最大版図を築いたが、そのために反乱の続発に悩まされ、王朝が傾く原因をも作った。祖父のサルゴンと並んで、アッカド帝国史上最も有名な王であり、後代に数多くの伝説が作られた[1]。またメソポタミア史上初めて自らをとした王でもある。(引用:)

 

画像

 

画像:アッカド王ナラムシンの戦勝記念碑。拡大図。砂岩質石灰石、アッカド時代、紀元前2250年頃。

紀元前12世紀にエラム王シュトゥルック・ナクンデがイラクのシパールからイランのスーサに持ち帰った

戦勝記念品。参考

 

 

 


 

 第二次大戦後のベルギー軍の配置状況について調べられるだけ調べた。幸いに両サイドが疑心暗鬼のうちに想定した地獄沙汰は生じなかった。もともと欧州に生じたであろう空爆と戦車による地上戦は、住民は逃げようと思えば逃げることができたし、住民が余すところなく殺戮される事態ではなかった。地獄の沙汰には至らなかったのだ。

 

 

 

 だから、ア―ロルゼンに関する限り、歴史上で発生した地獄沙汰はナチスによって引き起こされた強制収容所だけであったろうと考えられる。ナチスとナラムシンとでは次元が違う。ナチスは抵抗のできない者達を一網打尽に捕縛し、裁判にかけることもなく、秘密裏に虐殺を実行した。これこそ地獄沙汰である。

 

 

 

ナチスがこのような地獄沙汰を引き起こした背景とその哲学的思想背景については、先に「カイゼル・システムで詳しく説明したので、そちらを読んでいただきたい。

 

 

 

ナチスが出現する前に生じたことは、まずカントが、「統覚の先験的自我」による絶対価値の存在を主張し(18世紀末)、次いでこの思想に基づき、ビスマルクが文化闘争によりすべての大学を洗脳し(1870年代)、思想統一を行い、政治目的に資する対象だけに正義という価値を与えたという歴史的事実が、ナチスの蛮行実現の起爆剤となったのである。

 

 

 

ドイツ哲学を有難く導入していた戦前の日本が、天皇を絶対とする天皇神を唱え、竹槍で敵を倒せと日本国民を扇動したのも、このドイツ観念論であったことを思い起こす必要がある。絶対唯一という概念が存在することが地獄沙汰の背景にある。「カイゼル・システム」を是非再度繰り返し読んでいただきたい。

 

画像ニューギニアで捕虜となった日本人戦士

 

 

 日本の大学ではカントとビスマルクを神様扱いする戦前のドイツ崇拝主義がいまだに根強く残っている。これは民主主義に反している。日本に残る観念論者たちは、世界の哲学界から事実上追放されている事態をどうかあなた自身で認識していただきたい。必要ならば、米国の大学まで出向いてファクト・ファインディングを行っていただきたい。詳しく言えば、東京大学と京都大学の哲学者たちである。彼らが、いまだに誤った主張を繰り返し、生徒たちを洗脳し続けるシステム、すなわち、狂者の哲学は、もうそろそろ全廃すべきだと思うがいかがであろうか。

 

 

 

このような時代遅れの思想が麻原彰晃を生みだしたのである。つまるところは、絶対価値の存在の主張とそれに基づく洗脳である。相手に逃げることを許さぬ絶対論の地獄なのである。

 

 

 

 話がそれてしまった。アーロルゼンという軍事都市を調べていたら、ナチスと麻原彰晃の話になってしまった。

 

 

 

 

 

PS

 

International Tracking Service, Arolsen

 

 

画像:GoogleMap, 2019

 

 『オデッサ・ファイル』(フレデリック・フォーサイス 篠原慎 角川書店 昭和49年)P200に、リガの強制収容所の所長ロシュマンを探すペーター・ミラーが、ウィーンのウィーゼンタールの示唆で訪れたミュンヘンのユダヤ人資料室で語られた言葉、

 

 

 

「国際追跡サービスに当たってみればどうかしら。行方不明の人を捜し出すのが仕事で、ドイツじゅうの名簿がそろえています」

 

「その追跡サービスというのはどこに?」

 

「アロルゼン・イン・ワルデックにございます。・・・・赤十字の組織です」

 

 

 

を思い起こす必要がある。上はアロールゼンの最近の地図であるが、赤矢印がITS。ドイツのなかで、強制収容所に関する情報、犠牲者の安否と行方などを調査するための機関であるが、ドイツ人にはとても不評で、かつ資料が非公開であるとして問題視されている。(説明