2017/07/20
今まで述べてきた
透明人間 アセトン
砂漠の民 メタノール
Flixborough3 カプロラクタム
Flixborough4 シクロヘキサン
などの商行為はいずれも短期で発生し、短期で終焉するスポット・ビジネスである。若い商社マンたちが死力を傾注して実績を上げても、その実績は期末に実績数字として記録されてそれでおしまいになる、翌期にはふたたびゼロ出発となる、いわば「カゲロウ」のごとくはかないものなのである。
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そこで商社マンの目はより永続的で、経営の土台となるべき「事業」へと向けられる。事業にはきわめて多額の投資が必要になるが、投資効果が適切に開元すると、事業会社としての長期安定性が認められ、事業会社の存在が世に認められることになるからだ。投資家にとって利殖効果があったという目的達成感が与えられることになる。
つまり、商社マンにとって最重要課題は未来事業の発見と育成である、ということになる。
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とはいえ、私の所属していた商事会社は、戦後に引揚者収容の目的で設立されたもので、事業会社の体をなしていなかった。事業運営のノウハウは皆無で、事業運営を行う人材も皆無であった。ではどうしていたのかというと、グループ内の事業会社へ日参し、米つきバッタのごとく頭をさげて、わずかな日銭の入る取引を分けてもらっていたのである。僅かな日銭といえど、戦後の石油化学の急激な膨張時期にあっては、当社が親会社からもらった商売の金額もかなり膨大な金額となり、事業と無縁の状態がつづいても、その日暮らしの生活に困ることはなかった。
そういう意味で商事会社は、(三菱商事をのぞいては)、事業会社となることを夢見ながら、日銭稼ぎに明け暮れていた。
私の事業への参画努力は比較的に遅くにはじまった。
化学事業の基本は、化学品製造技術であり、大抵の場合はその技術は西独のエンジニアリング会社が所有しており、私たちは西独のエンジニアリング会社から技術を買い、プラントを建て、化学品を製造して事業を開始するのがその当時の主流であった。そのために事前にエンジニアリング会社から製品に対する原料の原単位、エネルギー・コスト、人件費コスト等を教えてもらい、それにもとづき事業計算を行って事業の採算性を計算していたのである。
いや、その事業の採算性は、私たちが計算するまでもなく、エンジニアリング会社によって公表されていて、その好調な事業採算性は私たちの目を幻惑させるほど豊かなものであった。
画像: 日本のエンジニアリング会社の一例
問題は採算性を誇張するための沢山のからくりをエンジニアリング会社がこっそりと事業計算に挿入していることにあった。過大なインフレーション・レート(未来に過大なインフレーションを想定することにより、初期投資額を過小評価する)とか、付帯設備費の削除だとか。私たちの仕事は、だからこれらの嘘を見抜きエンジニアリング会社による楽天的な計算を修正することから始まるのである。西独のエンジニアリング会社は「正々堂々と嘘をつく」のが習性であると私たちは見抜いた。もうひとつ言わせてもらうと、彼らは、それが違法であろうとなかろうと、平気で事業の企画者にkick-backを提供するのである。そして、kick-back費用を巧みに事業計算のなかに織り込む。すると、多額の経費が目に見えないように織り込まれた事業計画書となり、私たちが期待していた正当な利益の還元の機会は失われてしまう。
画像: Kick-back (日本語で賄賂)
だから、こういう業界にいると、なにが真実か、誰を信用してよいのかわからなくなる。そういう困った状況にあった。魑魅魍魎が這いずりまわる業界、という奇妙な状況なのである。
実際、この業界では多数の事業計算書があふれていて、私たちには正邪の判別がつかない。おおよそ判断の規準がなくなる、見えなくなる、のである。
事業計算の基本を教育されていない人間にとっては、取り付きようのない世界であった。私自身が、そのような局面に立たされていたのである。